臨川四季の森公園は、JR恵比寿駅から明治通りを東の方に進み、一本裏通りに入った渋谷川沿いにある小公園です。
もっとも、この付近の渋谷川は数メートルの掘り込みになっているので、園内から「川に臨んでいる」という実感は得られません。この茂みの向こうに川が流れているはずなのですが、危険防止の意味合いもあって高いフェンスと樹木とで仕切られています。
また、整備されてから日が浅いのでしょうか、園内の樹木は「森」と呼ぶにはまだ小さく、全体的に名前負けをしている感があります。
植えてある間隔もずいぶん離れているので、「森」になるのは相当先のことでしょう。
敷地全体が広場状になっており、施設といえばトイレ、災害時にはトイレになる防災スツール、自動販売機くらいです。
ですので、普段は子供が遊ぶというよりは近所の方々がちょっと集ったり、おしゃべりをしたりといった利用が考えられます。
しかし、そんなシンプルな園内で一番気になったのは、こちらの文化財の解説板。
●現地の解説板より「広尾水車跡」
この区立臨川四季の森公園のあるところは、渋谷川から引き入れた水力で水車が回っていたところです。
この水車は「広尾の水車」と呼ばれ、江戸時代中期頃にかけられたもので、区内に数多くあった水車のなかで最も古く、規模の大きいものでした。
その主な用途は、麦や米を搗くことに用いられていました。
ここは、将軍徳川吉宗が広尾原(現・都立広尾病院付近)での鷹狩りの途次に立ち寄って、休息したことから有名になりました。
水車は、安藤広重の『江戸名所図会』にも描かれるなど、当時は名所として位置付けられていたことがわかります。その絵には、渋谷川が堰き止められ勢いよく水車を回した水が、再び渋谷川へ落とされている様子が描かれています。
水車は、電化の波に押され、効率性や維持の面から次第に衰退しはじめ、大正初期には廃止となりました。(渋谷区教育委員会)
区の教育委員会が建てた解説板に私のような素人が色々言ってはいけないのですが、これまでの経験で公園の解説板にはミスが多いということも知っているので、気になったことを書き留めておきます。
それは、解説板にある「安藤広重(歌川広重)の『江戸名所図会』」というのは聞いたことがないので、『名所江戸百景』、『東都名所』などの江戸名所ものを多く手掛け、広尾の風景も描いている広重と、長谷川雪旦が挿図を描いた『江戸名所図会』がごっちゃになっているのではないかと懸念しているということです。
東京都立図書館HPより引用して表示
『江戸名所百景 広尾ふる川』(歌川広重)
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実際、東京都立図書館のHPには、長谷川雪旦が絵を描いた江戸名所図会の1ページ「広尾水車:渋谷川が堰き止められ勢いよく水車を回した水が、再び渋谷川へ落とされている様子」が公開されていますし...
東京都立図書館HPより引用して表示 『江戸名所図会 広尾水車』(長谷川雪旦) |
でも広重は作品が多いだけに、どれかの作品が通称「江戸名所図会」と呼ばれている可能性もあるように思います。どなたか、「広重の江戸名所図会」についてご存知の方は、コメント欄にでもご教授いただければ幸いです。
(2017年8月訪問)
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