1559/1000 北郷公園(兵庫県西宮市)

2017/08/19

身近な公園 西宮市 兵庫県

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大正時代に武庫川の改修に伴って廃川となった支川の枝川跡地に住宅地が開発され、これが甲子園と名付けられました。今は甲子園○○町という住所表記の範囲は広がっていますが、甲子園一番町~九番町までが当初の開発範囲だそうです。
北郷(ほくごう)公園は、そのうちの甲子園三番町にある小公園です。

公園の開設は1941年(昭和16年)とのことで、西宮市でも古株の公園にあたります。公園施設は順次入れ替えられていますが、東門・西門の門柱は、70数年前のものが残っているのではないかと思います。

東門の門柱はかなり埋まってしまっていますが、西門はそうでもありません。

しかし、この公園を特徴づけるのは古さだけではなく、公園内の地形形状と、それに関わる伝承碑があることです。
まず地形ですが、先程の西門から園内を見ると敷地に入ってすぐに階段があり、小高い丘のようになっています。

西門部分と比べると、丘の頂上までは5メートルくらいの高低差があるでしょうか。

敷地の外に出て、別の角度から丘を見ると、より一層、周囲との高低差がわかります。

丘の頂上は平坦になっており、大きなマツの樹などが生えています。

しかし実は丘と言うには小さくて、頂上からはすぐに東門の方向へ下がっていきます。頂上部の平坦地は、幅10メートルくらいでしょうか。

じつは、この丘のようになっている部分こそが、冒頭で述べた枝川の堤防跡であるようです。枝川は1557年の洪水で武庫川から分かれて出現した支流だとされ、その後の300数十年かけて堆砂や築堤を繰り返して、このような堤防がつくられたものと思われます。
この旧・枝川の線形は道路形状などに残っているのですが、堤防は廃川後に崩されたところが大半で、ここが一番よく残っているのではないかと思います。

さて、この堤防に関係する伝承碑が、園内に建てられています。

それがこちらの「義民碑」です。

経緯としては、1557年の洪水で枝川が出現したことにより、それ以前からの用水の体系が大きく変化してしまい、枝川東側の鳴尾村は慢性的な水不足に陥ります。とくに1591年の旱魃は厳しいもので、枝川西側の瓦林村に分水を求めたものの断られ、ついに現在の北郷公園付近で夜陰に乗じて暗渠を掘り抜き、瓦林村を流れる新川から水を通します。
これによって田は蘇ったものの、当然のごとく瓦林村と争いになって大坂奉行の取締りを受けることになり、「今後も水は引いても良いが、関わったものは死罪」との裁定が下ったので、罪を被った義民たちを顕彰するための碑です。

いかにも詳しそうに書いていますが、義民碑の前の解説碑に詳しく書かれていました。
もっとも碑文にある「樽を暗渠代わりに使った」というのは伝承で、大正年間の枝川廃川工事の際に立派な楠を使った水路材が掘り出されたそうです。

●現地の解説板より「義民採水の地」
天正19年(西暦1591年)夏、世は豊臣秀吉の治下で鳴尾村の領主は佐々孫十郎の頃、近年稀に見る旱魃に喘ぎ苦しんだ農民が隣村の瓦林に分水を乞うたが拒絶されたので、止むを得ず枝川が武庫川の氾濫で生じてより在来の水路が遮断せられ用水が不利となっていることから、農民たちは夜陰ひそかにその川底を掘鑿し四斗樽の底を抜いて横に次々と重ねて伏せ越し暗渠として遂に瓦林村新川の水を通し枯死寸前の稲を蘇生せしめた。
このため瓦林側と争論を生じ果ては大乱闘となり多数の死傷者を出したので関係者は大阪奉行所に検束され片桐且元、増田長盛の裁判を受け、「その方達は水が欲しくて命は欲しくないのか」の訊問に鳴尾の農民達は「吾等一同は死を覚悟して水を引いたので数百の村民のためには勿論命より水が欲しい」と壮語した。これに感激した且元等の助命取計いも法は曲げられずと25人が天正20年10月12日死罪に処せられ、北郷の水利は永く鳴尾村に許されて今も鳴尾の田畑を潤ほしている。
その取水の地である当北郷公園に昭和18年6月19日鳴尾村が義民顕彰碑を建立した。
毎年半夏生にはこの分水に盡力した浄願寺で法要を営み、その前日には用水受料として酒と蛸などを瓦林村に送るのを慣習としている。
鳴尾文化協会はこの由縁を録しこの碑を建てる。

昭和48年10月 協会創立35周年記念 鳴尾文化協会

ちなみに、ずいぶん前に訪れたNo.362 八ツ松公園にも、同じ義民の顕彰碑がありました。そちらは、義民たちの墓碑がある浄願寺に隣接する公園です。

さて、そんな歴史を刻む北郷公園ですが、現代の公園としての顔も持っています。
東門から入ったところは広場で、滑り台やブランコなどの遊具がある児童公園仕立てになっています。

滑り台は西宮市内でよく見かける、1ハシゴ2滑り部で180度に開脚する通称「富士山型」が採用されています。

ブランコはありふれた2連のものですが、正面に堤防と義民碑とがあって、漕いでいるといつも目に入るようになっています。

遊んでいるだけで、いつしか地域の歴史を知ることができる北郷公園でした。

(2017年4月訪問)

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