1505/1000 観音町公園(川崎市川崎区)

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No.1497 大師公園から南へ500メートルほど離れた住宅地の中に江戸時代初期から伝わる観音堂があり、その隣に観音町公園があります。
西・南の2辺が道路に接しており、そこには高木植栽しかないため、非常に見通しがよい構造になっています。周囲の道路は決して交通量が少ない方ではないので、少し危なっかしく感じるほどの開放感です。

園内の東隅の方に寄せるような感じで、滑り台、砂場、ブランコが並んで設置されています。

広場部分をできるだけ広く取ろうとしているのですが、少し集め過ぎな気がします。

あと、この園内で目についたのは、やたらと幅が狭いトイレ。

そして、逆立ちで並んだ箒の数々。
すぐに帰れと言わんばかりの勢いです。

おまけ.
こちらが公園の隣にある潮音殿石観音堂。
公園名の由来ですし、興味深い物件が保存されているので簡単に記録します。

その物件とはお堂の中の観音様ではなく、門を入って右側にある「霊亀石盥盤(れいきせきかんばん)」というカッコイイ名前の付いた手水です。近郷の漁師たちが霊亀の助けをうけて海中から引き上げたのが名前のいわれだとか。
●現地の解説板より「石観音堂の文化財」
この石観音堂は、寛文5年(1665)、天台宗明長寺の僧弁融によって開かれたもので、本尊は石造・如意輪観音像です。境内には、近郷近在の人々の信仰を物語る文化財が残されています。
<霊亀石盥盤(れいきせきかんばん)>享保18年(1733)、霊亀の助けをうけて、地元の漁師たちが海中から引き上げたといわれる手水石です。
<梅動独吟万句詠草塚(ばいどうどくぎんばんくえいそうづか)>宝暦8年(1758)、郷土の俳人花鳥庵梅動が、早朝から夕刻にかけて句をつくりながら詠みつづけ、その数を競った、「俳諧の矢数独吟」をした時の記念碑です。
<六人一句碑>延享4年(1747)、俳人茗荷坊の門人六人が、石観音に奉納する句を詠んだ時の記念碑です。
これら石造記念物は、近世における民俗・文芸の地方資料としても貴重であります。

昭和62年10月 川崎市教育委員会

今は海から直線距離で1.5kmほど離れていますが、昭和の中頃までは観音町公園のすぐ南の道路は「観音川」と呼ばれる掘割で、そこに「観音河岸」という船溜まりがあったそうですので、漁師たちもすぐ近くに住んでいたのでしょう。
1947年(昭和22年)の米軍撮影空中写真を見ると、観音川と公園の位置関係がよくわかります。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より
USA-M377/写真番号:10/
撮影年月日:1947/07/24(昭22)

おまけその2.
公園とは道を挟んだ西側にある、紅白の鳥居が美しいお社。建物は長屋になって一続きですが、赤い鳥居が弁天神社、白い鳥居が八海山神社だそうです。
弁天様は水の神様ですし、八海山神社は木曽御岳の提頭羅神王を祀っており、これは塩の神様だそうですので、どちらも海に縁がある神様と言えるのかも知れません。

この社殿の前の境内というには空虚な感じの広場が、観音町公園と同じくらい広いことが気になります。

公園の中よりも、隣接地に気になるものが多い観音町公園でした。

かわさき区の宝物シート No.11-3 石観音
かわさき区の宝物シート No.11-4 弁天神社・八海山神社

(2017年1月訪問)

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