日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2017年5月17日

1477/1000 松葉公園(東京都台東区)

0 件のコメント :
松葉公園は、上野駅とかっぱ橋道具街の中間あたり、台東区松が谷(まつがや)にある小公園です。
ここは本ブログにはしばしば登場する、関東大震災からの復興に際して作られた学校公園の一つとして、また「終戦後のラジオ体操中継放送再開発祥の地」という、パッと読んだだけではラジオ体操の何が始まったのかさっぱりわからない発祥の地として知られています。

まず、震災復興小公園、学校公園としての性格から。
関東大震災からの復興にあたっては、当時の木造建物における火災被害が甚大だったこと、緑と水のある大規模公園や庭園が避難や延焼防止に役立ったことなどの教訓から、鉄筋コンクリート製の防火建物(校舎)と広いオープンスペース(公園、校庭)を一体的に整備する「学校公園」が多数導入されました。

ただ「一体さ」の加減にはいくつかパターンがあって、ここの場合は道一本隔てて学校と公園とが並ぶ配置パターンのため、両者が同一街区に収まる隣接パターンほどの一体感はありません。下写真が、公園内から学校側を見たところ。

で、その出入口の脇に『ラジオ体操中継放送再開発祥の地記念」という解説板があります。記念碑などはなく解説板のみが建てられているので、公園全体が記念の場所という認識で良いかと思います。
●現地の解説板より『ラジオ体操制定50年 ラジオ体操中継放送再開発祥の地記念』
ラジオ体操は、昭和3年天皇陛下ご即位を記念し国民の健康増進を目的として郵政省(当時逓信省)簡易保険局が制定し、日本放送協会の電波にのせて全国に放送してから50年、国民の愛好するところとなり体力づくりに大きな役割を果たしつつあったが、第二次世界大戦の影響を受け昭和22年8月31日で放送も一時中断の止むなきに至った。
その後、戦後の復興とともに、昭和26年5月6日、3年8ヶ月ぶりにラジオ体操の放送が再開され、昭和27年6月28日中継放送再開の第一声が、ここ松葉公園から全国に放送された。これを機として台東区ラジオ体操連盟が発足し、次いで東京都ラジオ体操会連盟及び全国ラジオ体操連盟と発展し今や全国に2000万人を突破する今日の隆盛を見るに至った。ここにラジオ体操制定50年と中継放送再開発祥の地を記念して長く後世に伝える。

昭和53年6月25日  東京都台東区

いくつか気になるところのある解説板ですので、少しネット情報で確認してみました。

まず「再開でありながら発祥」の地という中途半端さですが、これはまぁ放送再開の地を誇りたいという気持ちの表れでしょうから、良しとしましょう。
わからなかったは、「第二次世界大戦の影響」としながら、中断が1947~1951年(昭和22~26年)だということ。もちろん影響は直接・間接ありますので、戦時下にだけ影響が出るものではありませんが、戦後2年経ってから中断するというのはいかにも中途半端です。

と言うことでラジオ体操の一方の元締めであるかんぽ生命のホームページに行ってみると、ラジオ体操の歴史について詳しい説明が出ていました。
これによると、1945年(昭和20年)の敗戦の日に中止された旧・ラジオ体操はわずか1週間で再開、翌1946年4月に体操そのものがリニューアルされて新ラジオ体操(第1~3)の放送が開始されたものの、難しすぎて定着せず1947年に中断。そして1951年(昭和26年)に現在の3代目ラジオ体操(第1、第2)が発表されて放送再開、という流れのようです。

また、同じく郵政省系の郵政博物館「まぼろしのラジオ体操レコード」のページには、次のように書かれています。

●郵政博物館HP 博物館ノート「まぼろしのラジオ体操レコード」より引用
終戦後、GHQ(連合国軍最高司令部)の干渉を受ける中、簡易保険局とNHKはラジオ体操を存続させようと努力しました。
号令をなくし、伴奏をワルツ調にするなどして、今までのラジオ体操とは全く違ったイメージにして、戦後初の新ラジオ体操(第1〜第3)が制定されました。
この新ラジオ体操の放送は、昭和21(1946)年4月に開始されましたが、戦後の混乱期のため、ラジオ体操どころではなかった国民が多かったようです。また、ラジオ体操の振り付けが複雑で難しい、放送時間が不規則などの理由からなかなか国民の間に浸透せず、残念ながら昭和22(1947)年8月に放送中止となりました。

う~ん、戦前のラジオ体操に軍国主義的な側面があり、それに関するGHQの干渉が原因で旧ラジオ体操が使えなくなったこと、戦後で国民がラジオ体操どころではなかったことなど、いずれも解説板に書かれた「第二次世界大戦の影響」と言えばそうですが、一番の原因は新ラジオ体操が難しかったということではないでしょうか。

記事の冒頭に掲載したように、復刻版のラジオ体操第3の動画がYou Tubeにアップされていますが、これは運動慣れした人でないと難しいですよ。ラジオから流れる声だけで、この動きを再現するのは、まず無理ではないかと。
> https://www.youtube.com/watch?v=JcVfrNO7x5g

ですので、この松葉公園で再開されたのは「現在に連なる3代目ラジオ体操の中継放送」であり、それに先立つ中断は戦争の影響というよりは「難しすぎた」からだと読み解きます。

と言うことで、現在も公園内にはラジオ体操用のステージがあり、ここで年中無休のラジオ体操会が開かれています。

広場は、200人くらいがラジオ体操に集まっても問題ないくらいの広さがあります。

上記の土敷きの広場から少し離れ、公園東側からの入口にあたる部分には、装飾用のなまこ塀が建てられた竹林付きのエントランス広場が設けられています。

なまこ塀は周りの景観と見比べて唐突な感もあるのですが、この付近は震災までは浅草寺や浅草本願寺と関係する寺院の多い寺町だったようなので、そうした歴史的なものを表現しているのかも知れません。

そのエントランス広場には、ポンプ部分が壊れた井戸跡がありました。
阪神・淡路大震災以降に、防災目的で公園内に設置されることが増えた井戸ですが、それから20年以上が経過して、壊れてるものも目につくようになりました。

ラジオ体操のできる広場とはフェンスを隔てて遊具広場があり、小ぶりな複合遊具、2連ブランコ、揺れる動物、フェンスに囲まれた砂場などがあります。

隣に小学校があるのですが、遊具に関してはやや低年齢層向けの構成で、元気な小学生には少し物足りないかも知れません。

色々な要素が詰め込まれていますが、せっかくなのでもう少しラジオ体操推しでも良いのでは、と思う松葉公園でした。

(2016年12月訪問)

0 件のコメント :

コメントを投稿