1381/1000 高輪公園(東京都港区)

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高輪、品川のあたりは西北方向から伸びてきた台地が海へと落ちていく境目にあたっており、台地の”ひだ”のような細かな窪地や谷地が多い地形になっています。
この坂を下りていった先にある高輪公園は、そんな谷地の一つを使った小公園です。

窪地だけあって、池を中心とした園地が設けられています。

少し角度を変えて。
おそらく現在は水道かポンプで水を回しているのでしょうが、元々は奥にある崖地の方から水が湧いて流れ込んでいたのではないかと思われる地形です。
そして、そのまま緩い傾斜地が続いて、かつては高輪の海辺へと繋がっていたのでしょう。

池の横には、ネットフェンスに囲まれた球技スペースがあります。周りに崖があって、そこの樹木が覆いかぶさるように育っているため、ちょっとした森の中にいるようにも思えてきます。

池から少し下がると、幼児~児童向けの遊具や成人向けの健康器具のあるスペースになっています。

付近は高級住宅街ですが、子供が遊び回れるような公園は少ないので、結構な数の親子連れが遊んでいました。そのスキをついて撮影。

敷地全体が緩傾斜地になっているので、遊具スペースも上下二段に分かれています。
上段には、複雑な形のクライム遊具やブランコ、砂場などがあります。

そして下段には、大小の滑り台。手前に青とピンクのスパイラル型、奥に赤と黄色の幼児向けの滑り台が写っています。

滑り台のところから、そのまま大きな広場へと繋がっています。

さらに水の流れに沿うように歩いていくと、公園の外に出てしまいました。
しかしエントランス部分は歩道と一体的になっており、ちょっとした休憩などに使える園地になっています。

ところで、港区では歴史的な土地利用に関係するような場所にある公園には「公園付近沿革案内」という解説板を建てており、江戸時代の切絵図なんかを掲載しています。本ブログでは「公共用地に歴史あり」を謳っていますので、非常に参考になるありがたい解説板です。
この公園にも、その解説板がありました。
●公園附近沿革案内
この公園の付近は、三方を丘で囲まれた静かなくぼ地で、江戸入口の大木戸から南方に当たり、国道東側まで海があって景色のよい所だった。
今から約300年前、寛永13年(1636年)に近くある東禪寺が赤坂から移った。この禪寺を中心として多くの寺が建ち、その周辺には有名な大名井伊、本多家などの下屋敷があった。
幕末には、東禪寺は最初の英国公使館となった。附近の一部は江戸時代を通じ荏原郡高輪村であったが、明治5年東禪寺、法蔵寺、法蓮寺、浄業寺等の寺地と、本多家下屋敷の一部を合併し下高輪町となった。
高輪の地名は、高い所にある、まっすぐな道という意味の高縄手道が略されたものとも、岬を意味する高鼻というのがなまったものとも言われている。
この場所は以前、酒井邸であったところで、昭和36年11月東京都交通局の所有になり、昭和45年10月港区が買収し昭和47年7月高輪公園として開園した。

交通局が買収する以前に邸宅を持っていた酒井さんは、庄内藩とか姫路藩とかの藩主であった酒井家に連なる華族の方ではないかと想像するのですが、上の解説板に掲載されている江戸時代の絵図には酒井家の屋敷は掲載されていません(下は拡大図)。
おそらくは明治になってから、他の大名家の下屋敷を買って邸宅にしたのだと思われます。

そして、そんな屋敷を東京都交通局が買った理由がよくわからなくて、時期的には地下鉄の都営浅草線の工事関係ではないかと想像するのですが、それも不明です。
非常に詳しくて、参考になることの多い解説板なだけに、もう一声欲しかったと言えば欲張りでしょうか。

港区による公園紹介ページ

(2016年7月訪問)

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