日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2016年10月4日

1294/1000 美東公園(沖縄県沖縄市)

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美東公園は、No.12711274で訪れた四神の公園がある比屋根土地区画整理事業の地区内にあります。地区内ではもっとも大きい公園なのですが、私が訪れた時には、まだ整備中で半分くらいしかできていませんでした。

利用できるようになっていたのは、上写真の出入口1カ所と、大きな芝生の広場。
フェンスや階段のギリギリまで芝生が植えてあり、通路がまったく取られていないのが不思議な感じです。もしかすると、まだ整備中で、本当は開園していなかったのかも知れません。

実際、残りの半分ほどは明らかに整備中で、まだ使える状態にはなっていませんでした。

出入口部分の広場には、巨大な龍柱を中央に据えた日時計、区画整理の記念碑などがあります。下が石敷きになっているので、芝生の広場とは違った遊び方ができます。

日時計の龍柱は、中国風に柱に龍が巻き付いたデザインで、頭の上に玉を掲げています。
かつて龍の使用方法にはルールがあり、「皇帝の龍は5本爪、貴族の龍は4本爪、庶民の龍は3本爪」と定められていた聞きますが、ここのは4本爪だったように思います。

龍柱に負けず劣らず巨大なのは、区画整理の碑「躍進」。
碑が大きい分だけ碑文も詳しく、この地区の歴史がよくわかります。

●碑文
本地区は、沖縄市の中心部から南東に位置し、県都那覇市より北東へ約20キロメートルの位置にあり、東側は泡瀬土地区画整理事業地区を界とし、西側は沖縄本島東側動脈である国道329号に接し、南側は沖縄県総合運動公園に、北側は高原・泡瀬市街地に面する高原5丁目の一部、泡瀬4丁目の一部、比屋根1丁目から3丁目、比屋根4丁目の一部区域の面積87.28ヘクタールの地区であります。
字泡瀬、字高原、字比屋根のいずれも戦前から恵まれた地勢と肥沃な土地に農業、水産業の発達した地域で、特に製糖・製塩と樽皮の産地として県下に名をはせ、海上・陸上の交通機関も発達し中北部東海岸の物流拠点として活況を呈していた。戦時中は字高原下原に米軍の第7歩兵師団司令部が設置、その後南側一帯に飛行場建設され、終戦後も更に字比屋根一帯と東部の農耕地も軍用地として摂取された。
32年間も強制使用されたが昭和51年、昭和52年に返還された。その後本地域と字与儀を含めた土地改良事業の計画が進められたが、一部が沖縄県総合運動公園として誘致決定という環境変化に伴い住宅整備(土地区画整理)の声が高まった。
昭和56年に設立準備委員会を設立し、昭和61年2月に知事の認可を得、比屋根土地区画整理組合が設立されました。以来、25年余の歳月に幾多の難問も生じましたが、固い信念と努力で難関を乗り越え、平成19年4月に換地処分の公告を受け、組合員の理解と協力と役員一体となっての努力が実を結び完成に至った。
茲に地主及び関係各位の長期に亘る御指導御協力に対し心から感謝の意を表すと共に本地域の限りない発展を記念してこの碑を建立する。

平成21年10月吉日  沖縄市比屋根土地区画整理組合

碑文の中でよくわからなかった、かつての特産品「樽皮」について調べて見ると、沖縄市の小学5年生向け教材(pdf)に詳しく出ていました。
沖縄の黒糖を本土に出荷するときに詰める樽のことなのですが、その「皮」というわけではなく、樽そのものを「樽皮(タルガー)」と呼ぶそうです。

そのほかに出来上がっているところと言えば、公園の境界部分に設けられた庭園風の箇所。写真右側が公園、左側は道路です
公園の内・外の両方から眺められるようにすることで、公園が持つ緑の魅力をより親しみやすいものにし、周辺に拡大していくという考え方がありますので、そうした発想に立っての配置だろうと思います。

ただ、ここから道を渡ったところにある保育園の緑化が非常に美しいため、公園は負けている感じになっています。

全面開園すれば、保育園に負けないくらい華やかになることを期待した美東公園でした。

(2015年12月訪問)

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