日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2016年8月28日

1258/1000 真嘉比中央公園(沖縄県那覇市)

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那覇市の北東部、沖縄都市モノレールの古島駅からおもろまち駅にかけての東側一帯は、真嘉比 古島地区(第1、第2)として1975年頃~2010年代までかけて区画整理事業が実施された地区です。
その地区内でもっとも大きく、中心的な位置にあるのが真嘉比中央公園です。

現在の公園の真ん中を、かつて首里と那覇とを結ぶ道(真嘉比道:マカンミチ)が通っていたとのことで、史跡と区画整理の解説板が設置されていました。

●現地の解説板より『真嘉比村(マカビムラ)』
琉球王国時代、現在の真嘉比・古島地域は、真和志間切(まわしまぎり)真嘉比村と呼ばれ、小字真嘉比原(現真嘉比自治会館周辺一帯)に集落が形成されていました。
1879年の琉球処分(沖縄県設置)の後、真和志間切真嘉比村は真和志村字真嘉比となり、1920年には字真嘉比の北東地域が字古島として分離しました。
古島を含むかつての真嘉比村は、首里・那覇に隣接する純農村地帯で、サトウキビや真嘉比川周辺の真嘉比川原(マカンジャーラ)の田芋は特に有名でした。また、首里(儀保村)から那覇(崇元寺)に至る真嘉比道と呼ばれる道が通っており、一部には石畳が敷かれていました。この道は、首里の人々が人目を避けて那覇の辻(遊郭)に行くために通ったり、末吉・西原辺りの人々が那覇の市に荷を運ぶために利用しました。真嘉比道周辺の丘陵には数多くの墓が建立されており、幽霊話の舞台ともなりました。
沖縄戦の後、1957年に那覇市と真和志市(当時)が合併した際、那覇市字真嘉比、那覇市字古島の行政区域が誕生しました。2000年頃までは真嘉比地域でも集落の形態や真嘉比道、周辺の丘陵・墓などもかつての姿を残していましたが、土地区画整理事業が進展し、見違えるほど整備された街が誕生しました。

現在の公園は、敷地の中央に少年サッカーならばしっかり1面取れそうなくらいの芝生広場があり、その周りを柔らかいゴム系舗装の園路がグルリと囲んでいます。
残念ながら、かつて幽霊話で有名だった真嘉比道の記憶を残すような園路はありません。

その芝生広場からハッキリとした区切りのない一角が遊具広場になっています。
開園は2011年(平成23年)と比較的新しいため、中型の複合遊具を始め、今風の新しい遊具が並びます。雨上がりに訪れたので写真はイマイチですが、晴れていれば多くの子供たちで賑わうことでしょう。

ただ、雨上がりだからよくわかることもあって、この公園は遊具の周りのラバーマットや芝生の作り方・使い方がとても雑です。
落下事故防止のために必要な最小限しかラバーマットを敷いておらず、その周りがすぐ芝生になっているため、利用者が集まることでマット周りの土が削れて水たまりが多くなっています。
これでは雨上がりは遊べないし、晴れた日でも足元に段差が多くなって転倒事故を招くので、遊具同士の利用者が交錯しない程度に一ヵ所に集めて、そこ全体をカバーするように広くラバーマットを敷いた方が良いでしょう。

ここも、わざわざ盛土をした上部にドーム型のジャングルジムを設置しているのですが、周りの芝生は剥げまくり、盛土も崩れ始めています。
ジャングルジムで遊ぶ子供たちが全員この斜面を上ったり下りたりするのですから、芝生なんか維持できるわけがありません。どうして階段を作らなかったのでしょうか。

大人向けの健康器具の周りも水たまりだらけですが、ここは設置場所が遊具広場に近すぎます。これでは子供の遊び場になってしまうので、結果として遊具広場と同様に足元がデコボコになるのでしょう。

と、まぁ色々と目についてしまいましたが、芝生が剥げて土が削れるほどに沢山の人が遊びに来ている証拠ですから、直すところは直して、これからも皆さんに親しまれて欲しい真嘉比中央公園でした。

(2016年1月訪問)

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