1189/1000 泉通公園(神戸市灘区)

2016/06/04

神戸市灘区 身近な公園 兵庫県

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泉通公園は、神戸市灘区の泉通2丁目、灘税務署の隣にあります。

以前から、この税務署が付近の主要な道路にはまったく面していない奥まったところにあるのが不思議だったのですが、今回古い地図で確認してみると、戦前に「花筵検査所」という商工省の施設があった跡地を税務署や公園にしたようです。
1935年(昭和10年)の地図で見ると、下の引用地図中の中央付近「灘区役所」の西隣が花筵検査所で、現在の税務署、公園とも検査所敷地に含まれています。

●日文研所蔵地図データベースより『實地踏測神戸市街全圖』1935年発行

ちなみに花筵(かえん;はなむしろ)は、イ草で編んだ模様入りの莚、いわゆる花ゴザのことで、明治から大正にかけて神戸港からイギリスやインドなどに盛んに輸出されていた貿易品だったそうです。2011年(平成23年)灘区役所発行の『灘区の歴史』によれば「花筵検査所は、明治38年(1905)に神戸市内の磯上通に設置され、大正12年(1923)に西灘村河原に新庁舎を竣工して移転した。(中略)西灘村に花筵検査所が置かれた理由は詳らかではない...」そうです。

確かに、港や鉄道からまぁまぁ離れたこの場所に検査所を移転させるというのも不自然なのですが、移転した大正の終わり頃には花莚の輸出自体が原料不足や安価な中国製品の流通などで廃れていたようなので、もしかすると閉鎖に先立つ規模縮小で移転してきたのかも知れません(灘貨物駅には近いので、そのあたりの絡みも考えられますが)。

移転した頃の花莚貿易の状況については、神戸大学のデータベースにある大阪朝日新聞の記事に詳しいことが載っていました。少し長くなりますが引用します。

●引用元 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00210009&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
■大阪朝日新聞 1922.10.3(大正11) 「寂れ行く花筵貿易-僅に野草筵が将来を卜されている」
神戸港の花筵貿易が旺盛であったのは明治40年前後である、即ち左表輸出年表を見れば神戸花筵貿易の趨勢が判る(図表あり 省略) 
輸出額は年々減って居る、而かも相場は高くなって居るのだから其の数量は大した減り方である、殊に昨10年の如き世界的大不景気の影響を受け前年の372万4千円から僅に90万4千円に下った斯る状態とて今や花筵貿易は全く世間から忘れられたように思われる
然るに野草筵は花筵と其の趨勢を異にして居る抑も我国の野草筵が米国野草筵の模倣品として米国向敷物に適当だと注目さるるに至ったのは大正元年以降の事であるが其輸出額は年毎に激増し、欧洲戦乱勃発後にあっては米国に於ける野草筵会社が軍需品製造の為休機の結果本邦野草筵の需要頓に増大し9年度の如き実に728万余円の輸出を見た、大正元年以降10年までの輸出額を示すと(図表あり 省略)
大正元年には26万4千円に過ぎなかったものが10箇年にも足らぬ9年に728万余円即ち約30倍近くに増加した事は驚くべき発展である、尤も10年は305万9千余円に激減したが之は独り野草筵に限らず輸出は何物でも不振減退したのである、之に依って観ると神戸否日本の花筵輸出貿易は最早駄目で昔日の俤なく野草筵か花筵に代って輸出の将来を卜して居る

さて、個人的に面白かったので色々と引用してきましたが、現在の泉通公園は花筵にはまったく関係がない普通の小公園です。

緩い傾斜地にあるため大きく上下2段に区切られ、両方の段の間を東西に抜ける園路が通っています。

上段は遊具広場になっており、黄色が鮮やかな複合遊具と、やや古い感じのするブランコがあります。

下段は取り立てて特徴のない広場ですが、放課後には近所の子供たちが走り回っていることでしょう。

と言うことで、花莚のことにだけ詳しくなった泉通公園でした。

(2015年11月訪問)

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