1092/1000 美崎公園(沖縄県石垣市)

2015/12/01

沖縄県 港にある公園 石垣市

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今でこそ、石垣島といえば「リゾート」「白保」「BEGIN」など色々なイメージが湧くようになりましたが、私が子供だった30年くらい前は、ボクシング世界チャンピオン「具志堅用高」が一番目だったと思います。
その具志堅のあだ名がカンムリワシでしたが、具志堅用高記念館のサイトによれば、インタビューで本人自ら「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と語ったそうです。

石垣市美崎町の離島ターミナル横にある美崎公園(都市計画名は美崎町公園)は、そんな石垣島のシンボルである大鷲の像があるため、通称・大鷲公園と呼ばれています。

なにぶん大鷲ですので、5メートルくらいの高さがある台座の上に像が乗っています。
どう写しても背景が空で逆光になるため、ほぼシルエットの写真ですが像の雰囲気は伝わるでしょうか。

台座には石垣港の埋立築造を記念して建てられたことが刻まれています。
題字を書いた大浜信泉(おおはま のぶもと)は、石垣島出身の教育者で、早稲田大学の総長を務めた人物です。公園から少し離れたところには大浜信泉記念館もあります。

石垣港建設諸工事の竣工を記念してこの像を建てる
1967年3月 石垣市
大鷲像寄贈 石垣港竣工大鷲像建立委員会
大鷲像彫刻 日展評議員 圓鍔勝三
大鷲像鋳造 高原四郎
題字 大浜信泉
工事 合資会社 國場組

また、もう一方の面には、石垣島の民謡・鷲の鳥節(ばすぃ ぬ とぅるぃ ぶし)の歌詞が刻まれており、石垣島の人に大鷲が親しまれている様子が伺い知れます。

綾羽ば生らしょうり びる羽ば産だしょうり
正月ぬすとむで 元日ぬ朝ばな
東かい飛びつけ てだばかめ舞いつけ

と、このように大鷲像が中心となる御崎公園では、園路や園地も大鷲像を目立たせるように構成されています。離島ターミナルに近い道路から園内を見ると、このように像に向かってビスタが通っています。

いちおう園地部分もあるのですが、石垣島の交通の中心である離島ターミナル、バスターミナルに隣接する公園としては、ちょっと広場の使い勝手などに難があるようにも思います。
賑やかなイベントなどにも使える立地なので、樹木植栽をもう少し減らして園路と広場の境をなくし、敷地全体を広場として使えるほうが良いんじゃないかなぁという印象です。

そして公園からは少し離れて、離島ターミナルに最近設置された具志堅用高像。表情や筋肉も格好良く、非常に良くできている像です。設置された時には大きな台座があったようなのですが、訪れた時には台座なしになっていました。

先ほどの大鷲像と比べると、記念写真が取りやすいという点で優れています。

横には、2015年の国際ボクシング殿堂入りを記念するパネルも設置されていました。
しかし同じパネル内で、同氏の階級について見出しや年表には「WBA世界ジュニアフライ級」となっているのに解説では「ライトフライ級」と書かれていたり(当時と今とで階級名が変更されて、当時はジュニアフライ、現在はライトフライであるらしい)、世界王座を獲得した年について「1976年のデビュー戦から9戦目にして(中略)世界王者となった」とわかりにくく書かれていたり(年表にあるように1974年にデビューして、それから9戦目となる1976年に王者になった)と、細かいところで記述が緩いことが少し残念でした。

それも南国らしい大らかさと片付けてしまうべきなのか...

■現地の記念パネルより「具志堅用高」

1955年6月26日沖縄県石垣市生まれ。
1976年のデビュー戦から9戦目にしてWBA世界ライトフライ級でKO勝ちし、沖縄県出身者初の世界王者となった。
試合後「自分はカンムリワシになりたい」と話したことから、国の特別天然記念物であり、石垣市の市鳥である「カンムリワシ」の愛称がついた。
3度目の防衛戦から6連続KO防衛を果たした。
その記録は、2015年現在、日本人では具志堅氏しか達成していない。
その後、具志堅氏の世界王者防衛は続き、1980年には13度目の防衛に成功。
これは日本人世界王者の最多記録で、2015年現在も破られていない。
1979年に市民栄誉賞を受賞し、2015年に国際ボクシング殿堂入りを果たした石垣市の英雄である。
(2015年8月訪問)

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