面積は約2.8ヘクタールあるのですが、わずかばかりの駐車場を除くと、ほぼすべてが海に向かって開けた芝生の広場になっており、ちょっとしたリゾートホテルの敷地と言っても良いような雰囲気さえ漂っています。
じっさい隣にはリゾートホテルがあるのですが(写真左手の建物)、ホテルにしたら、すごい得してますよね。ほとんど前庭状態です。
防潮堤を超えるとすぐに海ですが、砂浜はほとんどありません。
再び公園内。
ほぼ全体が芝生の広場なのですが、駐車場や道路に近いところには何点かの遊具も置かれています。
下写真は手前に複合遊具と、奥にロープピラミッド。
揺れる動物と、巨大タイヤなどもあります。直近に比べるものがなくてわかりにくいですが、奥のタイヤは幼児なら立ったままくぐれるくらいのサイズです。
また、新川地区出身の音楽家・宮良長包の記念碑と記念ステージがあります。
ステージは新栄公園や真栄里公園のものと比べると小ぶりで、やや古びています。おそらく古い時期には色々なイベントに使われたものと思われますが、石垣島に観光客が増えてイベントが大がかりになるに連れて会場も移っているのではないかと思います。
■音楽家宮良長包 顕彰碑
宮良長包は 明治16年3月現在の石垣市字新川に生まれる。
明治35年3月八重山島高等小学校卒業、明治40年3月沖縄県師範学校卒業、同年4月現在の登野城小学校訓導に任命され、大正4年4月沖縄県師範学校附属小学校へ転任。その後、仲西、小禄両小学校長を歴任して、大正10年4月沖縄県師範学校音楽教師に迎えられる。
以来17年間音楽教育に専念する傍、作曲活動に精進し幾多の名曲を発表する。
昭和14年6月那覇市で病死。享年五十六歳。
長包は生来感受性強く音楽的天分に恵まれ、沖縄の教育音楽の基礎づくりと発展のために生涯を捧げ、多くの優れた人材を育成するとともに、当時郷土文化に対する蔑視と差別的風潮の中にあっていち早く伝統的郷土音楽の優秀性を確認してその神髄を究め、郷土の情緒と旋律を基調とした格調高い、個性豊かな宮良音楽を生みだした。
彼の創作した幾多の名曲は広く大衆の中に普及浸透し、郷土への限りない愛着を人びとの魂に深く刻み込んだ。
温かい愛情と感性豊かな教育者
沖縄の教育音楽の先覚的指導者
沖縄の心を発掘昇華した愛郷の芸術家
ここにその輝かしい偉業を讃え、生誕100周年を記念して顕彰碑を建てる
建立 1983年3月18日
宮良長包生誕100周年記念事業期成会
社団法人 八重山青年会議所
私が訪れたのは、停めてあった自動車がひっくり返るほどの強風が吹いた平成27年台風13号が石垣島を通り過ぎた直後だったため、落枝がすこし散らばっていましたが、これでもかなり片づけた後だと思われます。
なにしろ、ちょうど園内で倒木を玉切りにしている最中でしたから。
こうして多くの方々の働きで、美しい公園が保たれています。
(2015年8月訪問)
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