日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2015年11月7日

1080/1000 新栄公園(沖縄県石垣市)

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新栄(しんえい)公園は、石垣市の中心部にあって市民会館や図書館に隣接し、多くの記念碑も並ぶなど、本ブログで言う「中央公園」の特徴を備えた石垣市を代表する公園です。
また数々のイベント会場にもなっており、とくにオリオンビールが主催するライブイベント「オリオンビアフェスト石垣」では、例年この公園が会場になっています。
●2015年のオリオンビアフェスト石垣はこちら

園内の標識によれば、石垣市は東京から1590km離れ、逆に台湾までは270kmなのだそうです。
しかし国内が「稚内」「東京」「大阪」と都市名なのに対して、国外の「台湾」「フィリピン」は国境までの距離なのか台北やマニラまでの距離なのかよくわかりません。

敷地のうちの広い範囲が芝生の広場になっています。土敷のところは楕円形のトラックではなく、芝生を四角く取り囲む園路です。

芝生広場の西北側が遊具広場になっており、大きな砂場の中にカラフルな複合遊具が置かれています。
10年以上前に訪れた時には、ここには「2本足で立っているシーサー」という珍しいコンクリート遊具があったのはずなのですが、時代の波には抗えなかったようです。

あと、ブランコも新しくなってるような気がしますが、さすがにそこまでは記憶が曖昧です。

さて、そんな新栄公園は町のど真ん中、市民に一番親しまれている公園ということで、その時々の皆さんの色々な思いが記念碑になって詰め込まれています。そんな記念碑だらけの公園を、本ブログでは「中央公園」と呼んでいます。

まずは地元の偉人の顕彰碑から。
石垣島出身で、戦前から方言研究で功績のあった宮良當壮(「みやなが まさもり」または「みやら とうそう」)の顕彰碑です。

■現地の碑より「日本方言研究の先駆者 宮良當壮 顕彰碑」
宮良當壯は、明治26年(1893)12月1日現在の石垣市字大川で生まれ、昭和39年(1964)3月1日70歳で天寿を全うした。八重山島高等小学校を卒業し明治42年7月、17歳で出郷。那覇で人力車の後押しなどをして旅費を工面し上阪、帝国吃語矯正会に入って生来の吃音矯正に努め、かたわら音声学を学ぶ。
その後上京し新聞配達や納豆売りなどをして明治44年8月、郁文館中学校2年に編入学し、大正8年國学院大学に進学。前田太郎、金田一京助、折口信夫に師事し方言学や民俗学を学んだ。卒業後は柳田國男の推挙で宮内省図書寮に勤務。芳賀矢一、上田萬年、新村出、市河三喜らの推薦によって大正14年から帝国学士院より研究費補助を受け、昭和21年まで国際音声記号を用いて前人未踏の全国方言調査研究に従事した。
昭和18年には図書寮編修官を辞し、日本方言研究所を創設して所長となり、方言の調査研究に専念。その研究業績が認められ、昭和28年12月「琉球諸島言語の国語学的研究」で、母校の國学院大学から文学博士の学位を受けた。昭和29年武蔵野女子学院短期大学国文科主任教授となり、後進の指導育成につとめた。
當壯は、生涯を方言研究一筋に打ち込み、苦学力行の末、遂に「採訪南島語彙稿」「日本方言彙編」などの全集22巻を著し、日本方言研究に先駆的な業績をのこした。
ここに、生誕百年に当たり、博士の不朽の偉業を讃えるため、内外の有志の浄財をもってこの碑を建立した。
平成5年(1993)12月1日
宮良當壯博士生誕百年記念事業期成会

続いては、沖縄らしいとも言える平和祈念関連の連発です。
まずは「世界平和の鐘」から。

■現地の碑より「世界平和の鐘」
昭和29年(1954年)に戦争の悲惨さ、核廃絶、平和の尊さを訴えて、65ヵ国のコインやメダルなどで鋳造された「世界平和の鐘」は、日本から米国ニューヨークの国連本部に寄贈されました。
 世界の人々が「平和」を祈り、「平和」を考える日になることを願い、毎年国連総会開会の日-「国際平和の日」に全世界に向けて国連事務総長が鐘打します。
世界の恒久平和は、美しい自然・かおり高い文化を誇る日本最南端の都市に住む私たち石垣市民のすべての願いです。

昭和63年12月10日設置 「世界平和の鐘の会」沖縄県支部

続いては、平和の鐘の弟分みたいなものでしょうか、「ほほえみの鐘」です。

■現地の碑より「ほほえみの鐘」
「世界平和の鐘」が設置された昭和63年(1988年)に、「ほほえみの鐘」も併せて設置されました。この鐘は「非核平和都市宣言」をした石垣市民の善意によって設置されたもので、未来を担う子ども達の幸せとすこやかな成長・世界の永遠の平和の祈りが込められています。私たち石垣市民は、市民ぐるみの子育てと平和を求める運動を進め、市民一人ひとりのたゆまぬ努力を誓います。
昭和63年12月10日 「世界平和の鐘の会」沖縄県支部

「ほほえみの鐘」の碑文にある「非核平和都市宣言」自体の記念碑もありましたが、ちょっと多すぎるので割愛して、次は憲法九条の碑。巨大な黒御影石に憲法九条の条文を刻んだだけというシンプルさが力強い碑です。

■現地の碑より「憲法九条の碑」

憲法九条は、日本と世界の平和及び安全の道標であることを確信している。しかし、内外の諸情勢にはいぜん厳しいものがある。よって私たちは迷うことなく「憲法九条の碑」をここに設置し、改めて内外にその意義を闡明(せんめい)にする。
2004年11月3日
「憲法九条の碑」設置石垣市民の会
会長 森田孫榮、デザイン 潮平正道、書 豊平峰雲

さらに、とくに解説などはなかったのですが、おそらく米軍による機銃掃射の跡が残るコンクリート壁が保存されていました。この公園は復帰前に埋め立てでできた土地にあるので、市内のどこかから移設されたものだと思われます。
沖縄戦といえば本島の地上戦が有名ですが、それ以前から本島、宮古、八重山、台湾までが広く米軍の空襲を受けています。

たいていの中央公園には、もう少し政治・経済の先人が記念されていることが多いのですが、戦争と平和に絞ったことで特徴がはっきりしている新栄公園でした。

(2015年8月訪問)

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