さて、これまで本ブログでは、沖縄の巨大コンクリート遊具をたびたび取りあげて来ました。
他地域では新しい大型コンクリート遊具があまり設置されなくなってきた平成年代に入っても、沖縄では個性的なコンクリート遊具が設置されており、それも小さな公園に似つかわしくないほどの巨大遊具を置くケースが見られるのが面白かったからです。
しかし、硬いコンクリート製の遊具は転倒時などに安全面の問題があり、また重い分だけ輸送や設置にかかるコストも高くなるからでしょうか、沖縄でも近年はあまり採用されなくなっており、今日一般的な鉄パイプの骨組みに樹脂製のパネルや滑り台を組み合わせた複合遊具が増えています。
ただ、「小さな公園に巨大な遊具」の系譜が途切れたわけではなく、ここ東浜きょうりゅう公園では、体高7~8メートルはある巨大なティラノサウルスがそびえ立っています。
中は基本的にはネット遊具になっており、口の付け根のあたりまで上っていって、口から外を眺めることができます。
ただ、よく見てみると利用のうえで欠点があるように感じました。
それは、この遊具の動線は、足の間から九十九折りに2階部分、3階部分へと上っていくパーツと、あごの下あたりにはめ込んである幼児用の小さな滑り台を使うパーツとに分かれているのですが、九十九折りのパーツは口の付け根あたりまで進むと行き止まりになっています(途中に抜け道はありますが)。
これでは上り下りが交錯してしまうので、たくさんの子供が遊び始めると、すぐに渋滞が生じてしまうように思います(実際に混み合っている場面を見たわけではないので、想像ですが)。
それがわかっていてのことか、すぐ横には人口の盛土を使った長めの滑り台があり、ティラノサウルスだけに頼りすぎないように、利用者を分散させるようになっています。
また、冒頭の園名板によれば開園は平成16年(2004年)ということですが、10年程度にしては塗装などの傷みが激しいという印象で、ちょっと先行きが心配です。
そのほか、熊(パンダ?)の顔の着いた幼児用ブランコ、揺れる乗り物、成人向けの健康器具や足つぼ歩道などがあります。
また、公園の東半分には広場や地区コミュニティセンターがあり、色々な地域行事に使いやすくなっています。
その広場の一角に建てられているのが、与那原町芸能先達顕彰碑です。
どうせなら埋立地の新興住宅地の中にある公園ではなく、先達たちが暮らした頃から続く旧市街地に建てた方が良いようにも思うのですが、色々と判断材料があってのことなのでしょう。
■与那原町芸能先達紹介
宮城嗣長(みやぎ しちょう)師
琉球古典音楽家。1861年(尚泰14、文久1)1月27日首里金城村に生まれる。1879年(明治12)の廃藩置県後、1906年(明治39)大里間切与那原村に居を移し、商業を営みつつ、1909年(明治42)に野村風与那原音楽会を設立して古典音楽の普及につとめた。師は琉球最期の王尚泰の音楽の指南役であり、「琉球絲楽三線譜 通称 欽定工工四(くんくんしー)」の編著者である松村真信翁の女婿で音楽の高弟である。1944年(昭和19)4月6日没。
伊良波尹吉(いらは いんきち)師
役者。1886年(明治19)9月9日大里間切与那原村(現与那原町)に生まれる。1916年(大正5)に渡嘉敷守良、鉢嶺喜次と三人で伊渡嶺団を結成、戦後は梅劇団の団長をつとめた。役者としての資質に恵まれ、50年にわたる役者生活中、つねに沖縄演劇界の指導者としての役割を果たした。歌劇「奥山の牡丹」「薬師堂」、舞踊「鳩間節」など不朽の作品を残した。1951年(昭和26)8月25日没。
仲泊兼蒲(なかどまり けんほ)師
琉球古典音楽家。1888年(明治21)2月20日大里間切与那原村(現与那原町)に生まれる。1910年(明治43)に宮城嗣長師に入門、のち師範代をつとめ、後進の育成にあたった。1932年(昭和7)に古典音曲35曲を吹き込んだ。そのレコードは県内外の県民、そして海外移民の慰め励ましになったことで有名であり、その美声は今に至るまで語り草になっている。1945年(昭和20)4月21日没。
宮城嗣周(みやぎ ししゅう)師
琉球古典音楽家。1914年(大正3)1月23日大里村字与那原に生まれる。父嗣長が創設した野村風与那原音楽会を1960年(昭和35)に琉球古典音楽野村流松村統絃会に改称、「声楽譜付工工四(くんくんしー)」を発刊して古典音楽の普及につとめた。1972年(昭和47)に沖縄県指定無形文化財・伝統音楽野村流技能保持者に認定された。1966年(昭和41)から1990年(平成2)までの25年間、RBC琉球放送ラジオ番組「ふるさとの古典」の解説を担当。1990年10月25日没。
と、このように楽しい公園なのですが、残念なのはこちらの貼り紙。
禁止行為の注意書き自体は必要なものとしても、それをせっかく笑顔をデザインしたトイレの正面にベタベタと貼りまくるのはいただけません。
施設は十分なのですが、管理面でのご苦労が偲ばれる東浜きょうりゅう公園でした。
(2015年1月訪問)
しかし、硬いコンクリート製の遊具は転倒時などに安全面の問題があり、また重い分だけ輸送や設置にかかるコストも高くなるからでしょうか、沖縄でも近年はあまり採用されなくなっており、今日一般的な鉄パイプの骨組みに樹脂製のパネルや滑り台を組み合わせた複合遊具が増えています。
ただ、「小さな公園に巨大な遊具」の系譜が途切れたわけではなく、ここ東浜きょうりゅう公園では、体高7~8メートルはある巨大なティラノサウルスがそびえ立っています。
三角のフレームとその隙間を埋める壁を上手に組み合わせて立体としてのティラノサウルスを表現しているあたりに、折り紙に通じる造形美を感じます。
中は基本的にはネット遊具になっており、口の付け根のあたりまで上っていって、口から外を眺めることができます。
ただ、よく見てみると利用のうえで欠点があるように感じました。
それは、この遊具の動線は、足の間から九十九折りに2階部分、3階部分へと上っていくパーツと、あごの下あたりにはめ込んである幼児用の小さな滑り台を使うパーツとに分かれているのですが、九十九折りのパーツは口の付け根あたりまで進むと行き止まりになっています(途中に抜け道はありますが)。
これでは上り下りが交錯してしまうので、たくさんの子供が遊び始めると、すぐに渋滞が生じてしまうように思います(実際に混み合っている場面を見たわけではないので、想像ですが)。
それがわかっていてのことか、すぐ横には人口の盛土を使った長めの滑り台があり、ティラノサウルスだけに頼りすぎないように、利用者を分散させるようになっています。
また、冒頭の園名板によれば開園は平成16年(2004年)ということですが、10年程度にしては塗装などの傷みが激しいという印象で、ちょっと先行きが心配です。
そのほか、熊(パンダ?)の顔の着いた幼児用ブランコ、揺れる乗り物、成人向けの健康器具や足つぼ歩道などがあります。
また、公園の東半分には広場や地区コミュニティセンターがあり、色々な地域行事に使いやすくなっています。
その広場の一角に建てられているのが、与那原町芸能先達顕彰碑です。
どうせなら埋立地の新興住宅地の中にある公園ではなく、先達たちが暮らした頃から続く旧市街地に建てた方が良いようにも思うのですが、色々と判断材料があってのことなのでしょう。
■与那原町芸能先達紹介
宮城嗣長(みやぎ しちょう)師
琉球古典音楽家。1861年(尚泰14、文久1)1月27日首里金城村に生まれる。1879年(明治12)の廃藩置県後、1906年(明治39)大里間切与那原村に居を移し、商業を営みつつ、1909年(明治42)に野村風与那原音楽会を設立して古典音楽の普及につとめた。師は琉球最期の王尚泰の音楽の指南役であり、「琉球絲楽三線譜 通称 欽定工工四(くんくんしー)」の編著者である松村真信翁の女婿で音楽の高弟である。1944年(昭和19)4月6日没。
伊良波尹吉(いらは いんきち)師
役者。1886年(明治19)9月9日大里間切与那原村(現与那原町)に生まれる。1916年(大正5)に渡嘉敷守良、鉢嶺喜次と三人で伊渡嶺団を結成、戦後は梅劇団の団長をつとめた。役者としての資質に恵まれ、50年にわたる役者生活中、つねに沖縄演劇界の指導者としての役割を果たした。歌劇「奥山の牡丹」「薬師堂」、舞踊「鳩間節」など不朽の作品を残した。1951年(昭和26)8月25日没。
仲泊兼蒲(なかどまり けんほ)師
琉球古典音楽家。1888年(明治21)2月20日大里間切与那原村(現与那原町)に生まれる。1910年(明治43)に宮城嗣長師に入門、のち師範代をつとめ、後進の育成にあたった。1932年(昭和7)に古典音曲35曲を吹き込んだ。そのレコードは県内外の県民、そして海外移民の慰め励ましになったことで有名であり、その美声は今に至るまで語り草になっている。1945年(昭和20)4月21日没。
宮城嗣周(みやぎ ししゅう)師
琉球古典音楽家。1914年(大正3)1月23日大里村字与那原に生まれる。父嗣長が創設した野村風与那原音楽会を1960年(昭和35)に琉球古典音楽野村流松村統絃会に改称、「声楽譜付工工四(くんくんしー)」を発刊して古典音楽の普及につとめた。1972年(昭和47)に沖縄県指定無形文化財・伝統音楽野村流技能保持者に認定された。1966年(昭和41)から1990年(平成2)までの25年間、RBC琉球放送ラジオ番組「ふるさとの古典」の解説を担当。1990年10月25日没。
と、このように楽しい公園なのですが、残念なのはこちらの貼り紙。
禁止行為の注意書き自体は必要なものとしても、それをせっかく笑顔をデザインしたトイレの正面にベタベタと貼りまくるのはいただけません。
施設は十分なのですが、管理面でのご苦労が偲ばれる東浜きょうりゅう公園でした。
(2015年1月訪問)
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