940/1000 美栄橋公園(沖縄県那覇市)

2015/02/26

沖縄県 身近な公園 那覇市

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美栄橋(みえばし)公園は、那覇市の市街地ど真ん中、モノレール県庁前駅から信号渡ってすぐのところにある三角公園です。
ここで、モノレールの駅名をご存じの方は「県庁前駅の隣の『美栄橋駅』の近くにあるんじゃないの?」と思うかも知れませんが、美栄橋駅からは700メートルくらい離れた場所にあります。
各地での経験から考えて、おそらく公園の開園後に町名変更が行なわれており、開園時点では旧・美栄橋町に含まれていたものと思われます。

公園の敷地は周りを道路に囲まれた三角形で、そのうちの2辺の道路に路上パーキングが設けられているため、公園内への見通しがやや悪くなるのが難点です。

園内は、大まかにガジュマルの木陰になるところは土敷き、そうでないところは草芝の生えた広場になっており、くっきりと2層構造になっています。日照条件の違いでしょうか。

もっとも、木陰部分はかつては遊具があった以前からの公園、草芝部分は少し前まで建物があったところなので、日照だけではなく土壌の状態も違うのかもしれません。
あと通り抜けの多いところは踏圧で草が生えないとか。

遊具は、以前はブランコなどもあったように思うのですが、今は雲梯だけになっています。

このパイプを立てた跡のあるコンクリート基礎はおそらくジャングルジム、

こちらの円形のものは砂場の痕跡ではないかと思います。

でもおそらく、この公園で一番の人気施設はトイレでしょう。
ビジネス街、繁華街に近いため、営業・配達・タクシー等々の皆さんがひっきりなしにやってきます。

ところで、公園の一角に、かつて那覇市の市民集会所があったことを記した石碑があります。

占領軍および琉球政府と対立関係にあった沖縄人民党の書記長などを務めた瀬長亀次郎が那覇市長だった時期(1957年)に、那覇市は銀行預金の凍結、補助金や融資の打ち切りなどの施政妨害を受けます。
しかし、それが逆に市民の間での瀬長人気を増大させ、自主的な納税推進で財政危機を乗り切ります。そこで業を煮やした琉球政府は、過去の投獄経歴を理由に瀬長の被選挙権を剥奪し、市長の座から引きずり下ろします。
こうした攻防の中で、内地の労働者団体からの金銭・物品支援がおこなわれ、それによって建てられたのが市民集会所です。

■現地の碑文より「市民集会所跡地」
市民集会所は、沖縄が米軍統治下にあるとき祖国日本の勤労者組織である日本労働組合総評議会から、那覇市に贈られた資材で建設された。
 建設  1958年7月22日
 構造  鉄筋コンクリートブロック造平屋建
 面積  50坪
 建設費 847,123円(当時のB円価格)
(老朽化により1997年12月取り壊す。)


碑文によれば、私が初めて沖縄に行った頃には建物が残っていたことになっており、そうであればこの場所は何度も通っているので建物も見ているはずなのですが、まったく記憶に残っていません。
興味関心が今とはちがったのでしょう。

ちなみに碑文にある「B円」は、米軍統治下の沖縄・奄美で1953年まで流通していた軍票(軍が発行する臨時通貨)で、廃止時には1ドル=120B円での交換が実施されました。当時の円ドルレートは1ドル=360円の固定相場でしたから、それに比べるとかなりB円高です。


と、そんな美栄橋公園ですが、遊具はなくなって子供の遊び場でもなく、かと言って木陰にベンチがあって休めるわけでもなく、繁華街に近いけれど取り立てて賑やかだったり逆に落ち着けたりするわけでもない、という中途半端な印象になっています。場所が良いだけに、そろそろリニューアルの頃合いかなぁと思いました。

(2015年1月訪問)

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