781/1000 海老塚公園(浜松市中区)

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浜松市の中心部を南北に流れる新川は、浜松駅近くの市街地では暗渠化されています。
それが駅の南で再び顔を出すあたりの川沿いに、海老塚公園があります。

浜松駅周辺では駅北の方が業務地・繁華街で、駅南はさほど集約的な土地利用のされていない住宅地が続いているため、海老塚公園ものんびりとした昔ながらの児童公園といった雰囲気です。

園内はパーゴラを境にして東半分が広場、西半分が遊具広場になっています。

遊具広場はブランコ、スパイラル式の滑り台、揺れる動物、鉄棒、砂場などがあります。

砂場には、乗用型のショベル。2本のレバーでショベルを操るのですが、実際にやってみると思ったようにすくえず、焦れったくなります。

広場の方にはとくに変わったものはありませんが、道路に面した角には警察に直通のインターホン、防犯カメラ、赤色灯などが合体した防犯灯がありました。事件の心配が多いのでしょうか。

ところで、公園内には立派な石碑が2つあります。

一つは、公園整備の由来を記したもの。
「公園誕生由来記」という表題にも関わらず、公園のことが登場するのは終わり1/3ほどになってからです。それだけ、そこに至る町づくりの中での住民団結の経過こそが、公園誕生の背景として不可欠だったということでしょう。

■海老塚児童公園誕生由来記 -光と緑-
此の土地は今より60年前頃迄は、海老塚町若松578番地と云う。
私が子供の頃は、周辺田畑にて、どじょうやたにしがたくさん住んでいた。時は流れ昭和32年2月、市当局に下水道処理工事問題が始り、此の土地にはポンプ場が設計され、すでに南小学校校庭にはポンプ場が設計、950万円にて工事着工、周辺住民大変怒り大反対をする。市当局は工事設計変更中止する。
其の后、昭和37年、坂本私案なる新幹線海老塚町通過の問題が起こり、68日間、国鉄(案)支持に大反対運動をする。
新幹線開通 昭和39年10月1日と共に海老塚地区都市改造事業開始。事業認可昭和38年10月18日、1.57ヘクタール、47486坪、総費用186,5850,000円(※転記注:カンマ位置は原文のまま)
周辺住民児童公園にするべく当局に陳情す。昭和40年4月、海老塚遊園地として自治会にて整地する。其の后、海老塚土地区画審議会にて種々協議、減歩にて公園敷地1,988平米、601坪、児童公園敷地とする。
昭和49年12月、3648,000円にて児童公園の造成をする。私どもの子孫の為
一致団結 強く 明るく
昭和50年3月16日 海老塚児童公園として開園する。
海老塚児童公園を守る会 大島義雄
昭和54年9月吉日

そしてもう一つは、浜松市長の銘で、一言「和」と記されたもの。
想像するに、上の碑に記されたポンプ場問題、新幹線問題に関する地元と市との間の騒動はかなり大きなもので、その和解を目に見える形にするために公園が使われたのではないかと思います。

私自身、公園の仕事をしていながら、知らず知らずのうちに「公園はあって当たり前」という感覚を持ってしまうことがあるのですが、まだ日本の都市に公園が全然なかった頃に、公園を確保するために熱い気持ちで挑んでいた人のことを知ると、また気持ちが改まります。

(2013年3月訪問)

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