日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2014年2月21日

600/1000 菊池恵楓園と熊丸記念公園など(熊本県合志市)

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国立療養所 菊池恵楓園(きくちけいふうえん)は、厚生労働省が所管するハンセン病療養所の一つです。
ハンセン病は、かつては「らい( 癩)」「らい病」と呼ばれ、その症状や病変の外観上の特徴、伝染性に関する誤った知識などから、近代に入ってもなお患者が強制的に集められ、社会から隔離する政策が取られてきました(実際のハンセン病は非常に感染力が弱いため、日常生活で感染することはなく、現在の日本における感染はゼロに近い。また発症しても薬で完治する)。

菊池恵楓園も明治期に九州癩療養所として設置され、九州全域からの患者を集め、国内最大規模の2200床まで拡張されました。
そして、とくに「無らい県運動」が盛んであった熊本県においては、偏見と差別に基づく様々な問題の舞台となった場所でもありました。こうした問題は1996年(平成8年)の「らい予防法の廃止に関する法律」、2009年(平成21年)の「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」などの施行を経ても、なお残っていると考えられます。

現在は、園内での歴史資料館の設置、グラウンド等の開放、保育所の設置などが行われており、地域との交流等を通じたハンセン病についての正しい知識の普及、差別の解消、患者の名誉回復などが進められています。また入所者の高齢化と減少から、今後の施設のあり方についての検討も進められています。
しかし一方で、2003年(平成16年)に菊池恵楓園の入所者らが熊本県内のホテルで宿泊拒否された事件は記憶に新しいところです。

とは言え、このあたりについてブログ作者は一般的な知識・情報以上のことは知りませんので、関心のある方は熊本県庁ほかのHPなどを参考にしてください。
  ●厚生労働省「ハンセン病に関する情報ページ」
  ●熊本県庁「無らい県運動」検証委員会
  ●熊本県庁「ハンセン病を正しく理解しましょう」 
  ●合志市役所「菊池恵楓園将来構想骨子について」
  ●西日本新聞「ハンセン病宿泊拒否問題」まとめページ

さて、そうした隔離政策と入所者による共同生活、強制作業(農作業)、その後の開放施策などを背景として、現在の菊池恵楓園は、景観的・オープンスペース的にも興味深い空間になっています。

下が現地に掲げられている園の案内図ですが、敷地の中心部に病棟や住居棟を取り、外周部南側の道路沿いは幅の広い樹林帯、北・東は「公園」と名付けられた緑地帯になっています。
緑地帯の多くは、配置から見てかつての農場跡だと思われます。

公園名の頭に冠されている「熊丸」「宮崎」「上妻」などは、かつての所長たちの名前から取られているようです。しかし「東」は違うように思いますが、どうでしょうか。
中でもいちばん大きいのは熊丸記念公園。一般にも開放されている野球場があり、投球練習場まで付いています。

築山と東屋。ブロック積みの階段など作りはやや粗いのですが、程よい手作り感に親しみが持てます。

●現地の解説板より『熊丸記念公園 由来』
熊丸茂先生は昭和24年3月熊本医科大学卒業後、昭和26年2月国立療養所菊池恵楓園に勤務され眼科医長、医務部長、副園長を経て昭和51年12月第6代園長に就任されました。
先生はハンセン病の医学教育と臨床治療に大きな業績を残されるとともに「信頼と和の精神」をモットーに園の運営に邁進され、入園者の医療と福祉の向上及び看護教育に尽力され恵楓園の発展拡充に多大の足跡を残されました。
茲に平成3年3月先生の定年退官に当り、名誉園長就任と第43回保健文化賞受賞を記念して永年に亘るご功績とご苦労に感謝と敬意を表し、先生のご懇志を基に先生の愛する野鳥たちの憩いの森になることを希い、東に大阿蘇を望むこの地に熊丸記念公園を造成します。
平成4年3月 菊池恵楓園患者自治会

そのほかは、芝生の中にサクラ、ウメなどが植えられた広場が多いようです。樹が植えられて20~30年以上が経つと思うのですが、やや過密なところが多く、樹木の生長は今ひとつと感じられました。

もう少し古いと思われるアカマツ林の広場。

こちらの「とんぼの里」は落葉・常緑が程よく混じった林になっており、湧水と思われる流れが環境に変化を与えてくれています。
隔離のために作られた平地林が開発されずに育った景観が、今となっては貴重なものです。

これは写真のピントが少し狂っていますが、入所者の住居区の現在。
かつては奥に見えるような長屋状の住戸(病棟)がもっと並んでいたと思われますが、入居者の減少と施設の老朽化に伴って解体され、跡地が芝生化されているようです。
また、住戸にスチーム暖房が入っているようなのですが、解体されて家の建物のない区画の方が多いくらいのため、緑が多い空間にパイプが張り巡らされる「ルーラル・サイバー」な光景が広がっています。

こちらは巨木がシンボルとなっているのに盆栽センター。そのコントラストが面白く感じられます。
所内でのコミュニティ活動の実態を知らないのですが、盆栽はバラバラと自宅前に並べるのではなく、センターでお互いに見せ合いながら育てるシステムになっているのかも知れません。

なかには、病棟の前庭のような狭い植え込みのスペースが「歌碑公園」と名付けられている例もあります。
おそらく外周部の広々とした公園が比較的近年に施設が開放されるようになってから整備されたものであるのに対して、病棟や生活棟の中にある小さな公園は患者たちが隔離されていた時代からのものではないかと勝手に想像します。
もしそうであるなら、不本意に閉鎖的な環境で暮らさざるを得なかった人たちの、本来の生活空間にあったはずの「公園」への渇望が伝わってくる命名のようにも思います。あくまで想像ですが。

これは暗い歴史を正視させる旧・監禁室の建物。
許可なく療養所外に出たり、職員の命令に従わなかったりすると、この監禁室に閉じ込められたということです。

などなど...

とまぁ、写真だけでは広さや雰囲気が伝わりにくいのですが、これだけの規模の敷地を国立療養所のまま使い続けることは難しいと思いますので、例えば現居住者を含めた高齢者が自立しながら住み暮らし、それでいて体がいよいよ不自由になれば病院や専門施設が身近にある「低層ケア付き住宅団地」を中核として、多様な年齢階層が暮らす住宅地としていくことがなどが考えられるでしょう。

ところで下の写真は恵楓園の南に隣接する、旧・菊池医療刑務所(1996年廃止)を取り囲む厚い壁。ハンセン病患者専門の刑務所として、約40年にわたり運用されてきました。
刑務所としての機能はさておき、ハンセン病患者だけを隔離して収監したという事実は病気に対する国の無理解に基づいた政策であったことから、その反省を込めて保存し、啓発施設として活用することが検討されています。

ただ、廃止されてからずっと放置されているようで、植物は育ち放題でコンクリート壁の傷みも見受けられましたので、早めの対策が必要ではないかと感じました。

(2013年12月訪問)

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