565/1000 日和山公園(山形県酒田市)その1

2014/01/16

おもしろトイレ 偉人像 山形県 酒田市 石碑めぐり 大きな公園 日本の都市公園100選

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酒田は古くから最上川の河口に栄えた港町で、とくに北前船が寄港するようになった江戸時代には奥州屈指の都市として豪商が軒を連ね、松尾芭蕉をはじめ多くの文人墨客がそこを訪ねました。
なかでも、戦後の農地解放まで日本最大の大地主だったという本間家は「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」と歌われたと聞きます。

その繁栄を支えた船の運航に欠かせなかったのが、最上川の河口近く右岸側にある日和山(ひよりやま)で、船乗り達が海路の日和を見た場所です。ここが現在は日和山公園となっており、酒田市を代表する公園として日本の都市公園100選にも選ばれています。
ちなみに「日和山」は古くからの港町には多い地名で、「日和山公園」も酒田市のほか宮城県石巻市と名取市、新潟市、兵庫県豊岡市、山口県下関市などにもあります。

そうしたシンボル性の高い公園なので、これまでにも数多く見てきた「中央公園(通称)」と同じく、まちの歴史や人の思いを載せた色々なアイテムが詰め込まれた公園となっています。

まず歴史的な物件で行くと、明治時代に建てられた洋式灯台。1895年(明治28年)から1958年(昭和33年)まで現役を務め、新しい灯台ができた後に公園内に移築されました。
酒田のシンボル的な存在ともなっており、街中の色々な施設も、これをイメージしたデザインが採用されています。
公園内の灯台(ほんもの)
商店街のイベント時などに使われる詰め所
車止め。シュッとしています。
日和山公園内のトイレ。いちばん似ていません

こちらは江戸時代の灯台・常夜灯。1813年に設置されたものです。

公園内で少し場所が離れますが、1919年(大正8年)に建てられた木造建築の旧・白崎医院も移築されています。
もともとは市街地にありましたが、1976年(昭和51年)の酒田大火の後に、区画整理に引っかかって移築保存されたものです。中を見学することもできます。

続いて銅像シリーズ。
常夜灯の横手の方には、『奥の細道』で酒田を訪ねた松尾芭蕉の銅像があります。最上川を舟で下ってきた芭蕉は、最上川の先に沈む夕日の景を「暑き日を海にいれたり最上川」と詠んだそうです。
この銅像と句碑のほか、酒田に縁のある人々の文学碑が並び「文学の散歩道」として整備されているのですが、それが与謝蕪村正岡子規斎藤茂吉野口雨情若山牧水井上靖など錚々たる面々で、往事には酒田に立ち寄る人が多かった、それだけ酒田が栄えていたことの証だと思われます。

こちらは江戸幕府の命により、北前船の西回り航路を開いた河村瑞賢の銅像。日本海の方向をカッと見つめています。
酒田港の再整備に携わった瑞賢は、日和山の麓に出羽幕領からの米を集める「御米置場(瑞賢倉)」を整備させます。川を使って集まる小舟から米を下ろし、保管して、北前船に積み替えて全国へ発送する物流センターのようなもので、後に場所や規模を変えながら明治維新の頃まで続いたということです。

上の二人に比べると全国的にはマイナーですが、明治時代に酒田の経済界をリードした荒木彦助の胸像。米商として活動しながら、町会議員や商工会議所会頭などを務め、酒田湊の改修にも尽力した人物です。

そして芝生広場には、池に浮かぶ北前船の模型があります。実物の半分のサイズだと言うことですが、倍にしたところで、今の目線では小さく見えます。

池の畔には日本列島(北海道と本州のみ)をかたどった植え込みと、北前船のおもな寄港地を示すモニュメントが設置されています。
No.559の大物公園の日本列島とはちがって灌木なので、空から見ずとも「これは日本列島だな!」と気付きます。

逆に地方都市なので、googleマップの航空写真では粗くてよく分かりません。日本海をかたどった池の左側(西)に、下関を上(北)、北海道を下(南)にした列島があるのですが...


長くなるので、第2回に続きます。

酒田市による公園紹介ページ
日本の都市公園100選&日本の歴史公園100選

(2013年11月訪問)

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