付近は駅前でもありながら古くからの住宅地でもあり、公園も色々な要望に答えているうちにものが多くなりすぎてしまったような雰囲気が漂います。
公園内に入ると、サクラやケヤキ、イチョウなど、思いがけず高木の多い鬱蒼とした林になっています。最近の公園は高木が少な目のところが多いのですが、やはり暑い夏には木陰が欲しくなります。
遊具広場には山遊具、回転ジャングルジム、滑り台、ブランコなどが一通りあります。
そこから少し離れたところには、「ハーフタイプ山遊具」とでも呼びたくなるコンクリート製の滑り台を備えたジャブジャブ池(徒渉池)がありました。
ほかにも飛び石、滝、亀など、面白そうな備品があって楽しそうな雰囲気です。
遊具広場の奥にあるのが、蒸気機関車C58-407。27年間にわたり北海道で活躍した後、豊島区にやってきて39年になります。
いちおうプラットホーム風の見学台があり、屋根掛けもされて保存状況としては良い方ですし、横手の方には駅舎風の詰め所や動輪なども置かれて、かなり好待遇です。しかしフェンスの向こうにあってじっくりと眺めるには遠いうえ、すぐ横まで遊具が迫ってきているので、無理して詰め込んでいる感じが出て落ち着きません。
ところで、全国の公園で蒸気機関車(SL)や路面電車が保存されているのを見かけますが、路面電車の場合はその公園のある都市で使われていたものが多いのに対して、SLは遠くからわざわざ持ってきていることが多いようです。
公園がある都市部では、SL時代の終盤にはすでに近くにSLが走っていなかったため、北海道など最後まで残っていたところから運んできたという事情はわかりますが、はるばる遠くから持ってきてまで子供たちにSLを見せたかった当時の大人たちの狙い、当時の社会風潮とはどのようなものだったのでしょうか?
郷愁、珍奇趣味、知識普及、記憶の継承、そして国鉄側の処分費用軽減...色々と理由に思い当たるところはあるのですが、どれも当たっているようでいてイマイチしっくり来ないようにも思います。
No.485の笹林公園の機雷のように、だんだんと「そこにある理由」が分かりにくくなっている物件のように思いました。
●僕のあゆんだ道(C58407)
昭和21年12月29日、汽車製造株式会社大阪工場で誕生して、北海道五稜郭機関区に配属されて戦後の混乱した激動期の中で松前線と江差線の旅客貨物輸送に活躍しました。
昭和48年8月12日箱館機関区に移り、おもに構内の貨車のいれかえ用として使用されましたが、動力近代化のために昭和48年12月1日で永年のお勤めをおわりました。その間の走行キロは約932,800キロで、地球を約23周したことになります。
昭和49年5月5日、豊島区のおねがいで大塚台公園に保存されることになりました。今後みなさんのお友だちとしてかわいがってください。
こちらは現役の都電荒川線。奥に見える林が大塚台公園。
都電を挟んだ斜向かいには、女子プロレス・LLPW-Xの道場もありました。
●豊島区による公園紹介ページ
(2013年6月訪問)
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