銭形平次が近くに住んでいた神田明神は、地形的には本郷方面から伸びてきた台地が岬状に突きだした先端にあたります。
下写真は、東側の坂下から神田明神を見上げたところ。
ですので、神田明神のすぐ西側にある宮本公園も、坂道だらけの地形を活かした公園になっています。
あっちも坂道、こっちも坂道の園内ですが、佐藤昌『日本公園緑地発達史』によれば、ここは明治時代の東京市が設けた公園改良委員会から、「平坦地が少ないから(そこを逆に活かして)、児童の運動場として設計してはどうか」との進言があったことを受けて整備された、日本初の児童公園とする意図を持って造成されたわが国最初の公園であると記されています。
その当時とは公園の区域も、周りの市街地の状況も変わっていますが、この高低差を活かした遊具などは、「立地の特徴を活かした子供の遊び場」の思想を受け継いでいるのではないかと思います。
公園内には、近くで材木商を営み、神田明神の氏子総代を務めていた遠藤家が昭和初期に建てた店舗兼住宅が移築されています。 普段は塀の外から覗くことしかできませんが、月に3回ほど見学できる日があるということです。
また、明治の頃に地元の学校教育に尽力した三谷長三郎の胸像が置かれています。
この銅像(胸像)が少し面白いのは、それ自体が有形文化財(歴史資料)として千代田区の文化財指定を受けているということ。「文化財になるようなものに関わった人」の銅像はよく見ますが、銅像自体が価値を持ってくるというのは、対象となっている人とともに年月の積み重ねが効いてくるのでしょう。
また像が建てられたのが1934年(昭和9年)、指定を受けたのが2002年(平成14年)ですので、70年足らずで文化財の指定を受けています。ほかの例を調べたわけではありませんが、これはけっこうなスピード指定に入るのではないかと思います。
(2012年7月訪問)







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