4344/1000 ゆずり葉緑地(兵庫県宝塚市)

2026/09/04

阪神・淡路大震災モニュメント 自然災害伝承碑 川辺の公園 兵庫県 宝塚市

ゆずり葉緑地は、宝塚市が設置する都市公園で、約1.8haの広さがあります。
ただし、敷地は逆瀬川の河川敷で、国の砂防事業である「水と緑の砂防モデル事業」による施設整備も行われており、さらに100年以上にわたる逆瀬川の砂防の取組みが、土木学会が選ぶ土木遺産に選ばれていることもあって、砂防関係の展示がかなり幅を利かせています。

さてそもそも、六甲山系の清水谷東端部から流れ出す逆瀬川は、武庫川に注ぐまでの延長6kmほどの間に、高低差500メートルほどを下りていく急流で、明治時代から山腹工を中心とした砂防対策が始まりました。とくに1928年 (昭和3年)からは、河道固定を目的とした流路工が開始されて、現在のような川の姿が形作られています。

そうした技術史的・生活文化的な価値もある流路工に接しており、それでいて比較的広い堤内地を持つこの付近が、昭和末頃に、上記モデル事業に選ばれて宝塚市の公園になっています。
しかし、昭和末というのは、何かと過剰な整備がされがちな時代でもありました。
エントランスのなにかしらの現代美術的なモニュメントとか、

芝生広場に散在するいくつものそれとかはまだ良いのですが、

巨大なコンクリート造の、その名も「砂防モニュメント」は、どうしても色々と気になってしまいます。

直径が20メートル、高さは10数メートルあるでしょうか、4階建てのビルくらいの大きさがある構造物で、屋根はなく空が見えています。つまり雨を避けられる東屋とか休憩所とかではなく、あくまで中に入ることができるモニュメント。

内部には、このようなパネル展示がされているのですが、それ以上のものはなく、展示空間として優れているかと問われれば、答えに窮するところです。

2階部分の一部に短い回廊のような、橋のようなものが架かっているのですが、と言っても2階の高さなので、上ったところでさほど眺望が変わるものでもなく、戸惑ってしまいます。一周できるなら遊具っぽく使うこともできるのですが、途切れ途切れだし。

砂防だし、地質だし、岩だし、ということで、色々な種類の岩石が展示されていますが、これだけから何かを学べというのも、かなりハードルが高いように思います。

町外れなのですが、宝塚市の中では大きい公園だからか、阪神・淡路大震災の慰霊碑も建てられています。

こちらは阪神淡路大震災宝塚鎮魂之碑とタイムカプセルの石碑。どちらも1997年(平成9年)の建立です。
タイムカプセルには、鎮魂之碑への寄付者の芳名や、被災した小学生たちが未来へ託した作文などが収められているそうですが、鎮魂の碑には震災で亡くなられた方のお名前は刻まれていません。

大災害の慰霊碑では、短い期間では遺族の方々の心持ちも揃わないことが多く、犠牲者の方のお名前を刻むか、刻まないかの意見が分かれることがあります。
ここの場合は、震災からの日にちが経つにつれて、慰霊碑という形で犠牲者のお名前を残したいと考える遺族の方が増えてきたためか、2020年(令和2年)に、背面にお名前を刻んだ、こちらの「忘れない」の碑が建てられています。

それら石碑の横を通り抜けて、さらに上流側に向かいます。
ここは、東屋があって休養向きの、芝生の広場。

この先には堰堤が邪魔をして、遊歩道が迂回するところもありますが、400メートル以上に渡って川沿いを歩いていくことができます。

さらに上流に向かうと、アスレチック遊具が何点か設置されています。

ところどころに砂防施設に関する案内板も設置されていて、リアルな砂防技術について学ぶことができます。「自然石積堰堤」は、いささか地味ではありますが。

しかし、遠くに望む譲葉山を背景に、100年もの間に徐々に自然の風合いを帯びてきた砂防堰堤が幾つも重なる景色は、独特の美しさを感じるのも事実です。

明らかに人の手が入った「土を築き、木を構える」姿なのですが、人力の及ぶサイズ感で年月を重ねてきたところが、そう感じさせるのでしょうか。
う~ん、じゃぁやっぱり、無駄に大きい「砂防モニュメント」は、先人たちからあまり学んでいないことになってしまうなぁ...

対岸に渡るのは、また明日。川の右岸側を歩いた、ゆずり葉緑地でした。

■現地の解説板より「土木遺産 逆瀬川」

●なぜ土木遺産に?
逆瀬川の砂防設備が、令和元年度に公益社団法人土木学会選奨土木遺産に認定されました。その理由は次の通りです。
(1) 日本の近代砂防の父と呼ばれる赤木正雄博士(明治20年兵庫県豊岡市出身)指導のもと施工された日本初の流路工※2である。
(2) 良好に維持管理されていて、整備された当時の鎧積堰堤※3などのデザインが残っている。
(3)「逆瀬川砂漠」と呼ばれた荒れ地が良好な住宅地として発展し、 防災対策の成果が優れている。

●どのように整備されたの?
逆瀬川は、六甲山系の東に位置する桜ヶ峰に源を発し、宝塚市街地を流れ武庫川に注ぐ、延長約6km、流域面積約5.4kmの二級河川です。
安土桃山時代、豊臣秀吉が大阪城築城のため石を大量に掘り出し、 明治時代には、木材の乱伐により上流域一帯は草木の生えないとなってしまいました。
明治当時は幅300mになる石河原の箇所もあり、大雨が降るたびに土石流が発生し、住民が避難する荒廃した河川でした。
1892年(明治25年)7月の武庫川大水害をきっかけにして、兵庫県は砂防計画を作成し、その3年後、緊急を要する逆瀬川の上流域において、土砂流出を抑制する山腹工などの砂防工事を開始しました。
1899年(明治32年)には国の補助を受け工事が推進され、1928年 (昭和3年)から日本初の流路工工事が始まり、1934年(昭和9年) に完成し、現在の姿へと引き継いでいます。
完成後の1938年(昭和13年)に阪神大水害が発生しましたが、 逆瀬川流域では大きな被害が出ませんでした。

●知ってました?
上流域では、土石流などを防ぐため、斜面に石積やアカマツの植林、 水が流れる箇所には理堤が築造され、上流からの土砂流水を抑え、 川岸の浸食を防止しています。
中流域では、現場にある玉石を利用して石積みの護岸を行い、補強のために、県下で初めてコンクリートが使われました。さらに川の流れに曲線を用いることで、景観にも配慮がなされています。

(2023年12月訪問)

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