4224/1000 広徳公園(東京都台東区)

2026/04/24

身近な公園 台東区 東京都

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広徳公園は、台東区役所と同じ街区内にあり、もともと広徳寺というお寺があって、それが関東大震災で被害を受けたことで郊外に移転・再建された跡地の一部を公園にしたものです。
「旧城下町の寺院や墓地を移転させて、跡地を都市整備の用地にする」という手法は、各地の災害・戦災復興などでも用いられるので、それの一典型として興味深い公園です。

...といったことが、園内の解説板や石碑に書かれているのですが、訪ねた時に園内のあちこちにタバコを吸う人が散らばっており、思うように写真が撮れなかったので、テキスト中心でお送りします。

江戸時代、台東区の上野や浅草あたりには、寛永寺や浅草寺に代表されるように、幕府や大名家の保護を受けた寺院が多く建ち並んでいました、しかし、その多くは明治維新後の変革の中で経済的に困窮するようになり、土地を切り売りしたり借家を建てたりして何とかやっていくことになります。ところが、大正終わりに関東大震災で大きな被害を受けて、いよいよ大変なことになります。
その時に、政府などが寺院の境内地や墓地を目をつけて、復興事業の用地として買い上げる代わりに、寺院の郊外移転(当時の郊外ですから練馬、杉並、中野、世田谷あたり)を促します。

そこで登場するのが、この公園に名を残す円満山広徳寺。
臨済宗大徳寺派の寺院で、加賀藩前田氏、柳川藩立花氏など大藩の江戸菩提寺ともなっていましたが、関東大震災でほぼ消失した境内地が復興区画整理の対象となり、区役所、警察署、小学校などが境内跡に移転する運びとなります。
移転先には現在の練馬区桜台が選ばれたのですが、先方では住宅需要も高まりつつあったことから、寺・墓場は迷惑施設とされて反対運動が起き、移転までには数年を要したとか。

その後も、昭和中期までは本坊だけが区役所横に残っていたものが、区役所拡張のために、これも桜台に移転。この時に拡張地の一角に広徳公園が整備され、「広徳禅寺遺趾」碑が建てられてました。
下写真右側の解説板の横あたりに石碑があるのですが、その前に腰掛けている人がいたので、これが限界。

仕方がないので、台東区のマークがある花壇の写真で締めくくる広徳公園でした。

(2025年12月訪問)

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