4211/1000 我善坊横川省三記念公園(東京都港区)

2026/04/11

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以前にNo.863 横川省三記念公園を訪ねましたが、それから10年ほどの間に、そこを含めた広い範囲が麻布台ヒルズとして再開発されて、かつての公園どころか町も地形も姿を消しました。しかし、麻布台ヒルズ内の小公園として、場所も、名前も、姿形もすっかり生まれ変わったのが、我善坊横川省三記念公園です。

と言っても、元々は1938年(昭和13年)に横川省三の旧居跡を公園にしたものが、1966年(昭和41年)に首都高速の工事で移転してNo.863になっていたので、今回が3代目ということになります。ジェイソウル。

新たに頭に付いた「我善坊」は、江戸時代からの付近の地名「我善坊谷」の名残で、明治になってから麻布我善坊町という町名になり、昭和後期に現在の住居表示が使われるまで残っていたものです。これが麻布台ヒルズの開発に際して、地元から公園名として「我善坊」を残して欲しいという要望があって、長い公園名になりました。
ただ、この字面を見ると、どうしても「漱石夏目金之助」や「林太郎森鴎外」のようなものを連想してしまい、横川省三が後に出家して横川我善坊になったかのような気がしてしまいます。

さて、新しくなった公園。麻布台ヒルズ内の道路と、歩道橋へ繋がる緩いスロープとの間の高低差を使って、小さな遊び場を上手に収めています。
遊具単位ではなく、子供たちが走り回る場所の大半をクッション舗装で覆っているところが、外国人も多いヒルズ標準な感じがします。

メイン遊具は、高低差を使った人研ぎ滑り台。幅の広いものと狭いものの2つがありますが、どちらも高さ(長さ)は同じくらいです。

滑り台の上部は、バリアフリー対応のスロープから繋がっているので、例えば車いすの子供でも、坂の上まで登って目線を変えることができます。

欲を言えば、こちらの斜めガケ登りもスロープと接続していれば良かったのですが、スロープの高さや余地の関係で、登ったところで行き止まりになっています。
でも、高さが違ったり、ホールド(突起)があったり無かったり、斜面の勾配も一律でなかったりと、一つの壁で様々な難易度のガケ登りができるようになっていて、設計者の工夫がうかがえます。

この斜めガケ登りの側面をふと見ると、カニがいます。これは!

覚えているよ、6本足のこの姿。No.863の登攀壁にいたカニが、生まれ変わって再登場ではないですか。

見た感じでは、移設とか、同じ商品の在庫があったとかではなく、トレースして作り直しているような気がします。こういう、細かな遊び心は大好きです。

No.863時代のカニ

場面を変えて、スロープの上から。遊び場はスロープの谷側ですが、山側も公園区域で、こちらは、中に立ち入ることもできる小さな林になっています。

在来の落葉樹中心の林は、民有地とも繋がっている上に、外務省飯倉公館(外交史料館)敷地の樹林地を借景としているので、実際の面積よりもかなり広く感じます。

保育園児のお散歩や落ち葉拾いくらいなら、ここで十分に楽しめそうです。

この林の中に、カエルのモニュメントがありました。いや、こいつにも見覚えがあるぞ!
No.863にあったカエル水飲みが、水道との接続をなくしたモニュメントとして復活しているではないですか。

水飲みではなくなったので、大きく開けた口のデザインが変わり、台座は蓮の葉型になりましが、ほぼ現物通り。3Dプリンターで作ったのでしょうか。

No.863時代のカエル

さて、カニやカエルは複製品だと思うのですが、横川省三の記念レリーフは、どうでしょうか?
No.863の頃は、立派な台座に黒御影石の碑文レリーフがはめ込まれていたのですが、現在はスロープの擁壁に直にはめ込まれています。黒御影石はあまり劣化しないので、以前の台座から取り外して埋め直したのか、レリーフごと複製品にしたのかは良くわかりません。

カエルの複製技術を見てしまうと、複製でも移設でも、どちらでも信じてしまえます。

No.863時代の記念碑

ただ、設置場所については、以前に比べると蔑ろにされている感が拭えません。記念碑と対峙するようなスペースは無くなり、歩道脇の空きスペースに、とりあえず入れただけと言っても良いでしょう。

「天地知心」碑も、トイレ横の植込みの中に詰め込まれています。

No.863でも「明治は遠くなりにけり」と感じましたが、明治を遠くに感じた昭和ですら遠くになってしまった我善坊横川省三記念公園でした。

■現地の解説板より「麻布我善坊町(あざぶがぜんぼうちょう)」

町域に我善坊谷があるので谷の名前をとって我善坊町と名付けられました。我善坊谷の由来については、坐禅をする僧侶がいたから、あるいは二代将軍徳川秀忠の婦人崇源院の火葬の際の龕前堂があったからなど諸説があります。

(2025年12月訪問)

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