4105/1000 杭全公園(大阪市平野区)

2025/11/25

山遊具 身近な公園 大阪市平野区 大阪府

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大阪の難読地名の一つ、杭全(くまた)にある杭全公園。かつての環濠都市・平野の北端にあたる杭全神社のすぐ前にあり、この付近の拠点的な公園です。
した写真中央の道路が杭全神社の参道なのですが、右は公園、左は小学校なので、現代の公共的な土地利用が、神社を含めた古い時代の共有的土地に設けられてきた経過が感じられます。

さて、参道をそれて園内へ。
市街地にしてはそこそこ広い園内に、明確な広場空間を設けずに、敷地のあちこちに遊具を散らばらせて配置するという、大阪市独特のスタイルで整備されています。

遊具は少し古めですが、バラエティに富んだものが揃っています。
まずは石の山遊具。山の上に人研ぎ滑り台が載っているタイプです。

なんと呼ぶべきか、この「突起」も良いですね。一つの方向を向いていないところが、遊び心をくすぐります。

石の山遊具に上って、周りを見渡します。
この山遊具自体が、プレーウォールなどに囲まれたエリアに含まれており、かつての環濠都市・平野の名残を表現しているかのようです。

環濠都市なので、かつては堀と土塁とに囲まれていたわけですが、公園に堀は再現しにくいので、壁が中心です。
この壁の間など、かくれんぼで隠れたら、当分は見つからないほどの防御力です。

環濠内に、蒸気機関車の遊具が乗り付けています。平野には、No.4104で見た南海平野線がありましたが、それは電車なので、この遊具とはとくに関係ないと思います。

現代的な遊具としては、そこそこ大きめの複合遊具もあります。

そしてこれも大阪市ならではの幼児用遊具セット。バケット式のブランコは各地でよく見かけますが、幅広で背が低い滑り台は、おもに大阪市で見かけるタイプです。

公園の北端まで行くと、お茶池橋と書かれた端跡、でも実際には池がないので、橋としての機能も持ち合わせていないアイテムがありました。
その横手に石碑があったので、てっきりお茶池橋に関するものかと思ったら、まったく違う記念碑だったのですが、せっかくなので書き起こしておきます。

■碑文より「平野郷町の大阪市編入について」

中世自治都市として有名な平野郷は、近代に入って明治22年(1889) 町制の施行により住吉郡平野郷町となったが、明治29年(1896)からは東成郡に属していた。
この当時、特に第1次世界大戦以後、産業の近代化の急速な進展により、大阪市に隣接する町村は急速に都市化しつつあった。これをうけて都市計画の実施や教育制度、社会施設の整備などが急務となっていた。そのため大阪市域を拡張し、統一的な行政制度を確立するべきだという声が高まり、各町村は次第に大阪市に編入されていった。
大正14年(1925)4月1日に、東成郡と西成郡が大阪市域に編入されたことで、平野郷町は大阪市住吉区となった。平野郷町ではこのことを記念して、杭全神社の境内に「平野郷町大阪市編入記念碑」を建立し、平成7年(1995) 撤去されるまで同地にあった(左写真参照)。
なお、現在の平野区となったのは昭和49年(1974)のことである。

お茶池橋跡の横手から公園外へ出ると、杭全神社の外周にそった歩道があり、そこは平野川と水路に挟まれた堤防のような形状になっています。

現地には石柱があって、「平野環濠跡」と書かれています。
すぐ横には平野川も流れているのですが、大阪市のHPによれば「二重になったところもあった」、「杭全神社東側にあった船溜は平野川を上下する柏原船の発着で賑わい、繁栄の基礎ともなった」などと書かれているので、ここは二重になっていて、外堀にあたる平野川に船溜まりがあったものかと理解します。

この、環濠跡に沿って200メートルほど歩くと、神社の北側にも公園があります。飛地になっていますが、ここも制度上は杭全公園の一部です。

こちらの方が樹々が大きく育っており、その林が神社の方まで繋がっているので、のんびりするには向いているようにも思った杭全公園でした。

(2025年8月訪問)

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