潮江公園は、JR尼崎駅から北へ歩いて7~8分、小学校の北に道一本挟んで隣接するところにあります。1960年代までは大小2つの溜池があった場所ですが、周りが市街化する中で埋め立てられて、市街地にしては広めの約1.9haの公園として整備されています。
ちなみに、隣の小学校は”潮(うしお)小学校”。地名は潮江(しおえ)なので、どうしてわざわざ江の字を抜いたのかが不思議です。
そして、ダウンタウンのお二人の母校でもあります。
■尼崎市立地域研究史料館『尼崎の地名』より「潮江」
古墳時代には海に面していたとみられる。史料上の初見は、建長2年(1250)の九条家文書で、潮江庄として出てくる。塩江と書かれている場合もある。永仁4年(1296)には京都泉涌寺領であったことを示す文書がある。江戸時代、村の大部分は旗本滝川氏の知行所であったが、小部分は尼崎藩領を経て寛永20年の分知により、旗本青山氏(幸通系)の知行所となるなどの変化があった。慶長10年の村高は860石9斗1升5合。
園内は大きく3つのブロックに分かれており、南側に野球場とバラ園、北側に遊具広場があります。
小学校がある南側から入ると、まずドーンと野球場のフェンスがそびえているという、密集市街地の公園ならではの構造が目に付きます。
野球場そのものも、右翼60メートル、左翼80メートル、そしてセンターも80メートルくらいという変則形状になっており、狭い敷地で、少年野球も大人の野球もなんとか実施できるように苦労した経緯が感じられます。
野球場の西側がバラ園。ここだけで2,000平米ほどあります。
尼崎市の公園には何ヵ所かバラ園があり、ここよりも広さや種数で上回る公園もあるのですが、花壇のまとまりや鑑賞しやすさは、ここが一番のように思います。
訪ねたのが5月の花盛りの時期だったということもありますが、立体的なポール仕立てが効果的に使われていて、来園者の皆さんがこぞって写真撮影に勤しんでいました。
バラのアーチの下にベンチがあったり、花壇の縁に腰掛けられる場所が多いことも、記念写真を撮りたい人には嬉しいところです。
続いて北側へ。野球場との間には、フジがしっかりと絡みついたパーゴラが、ツツジやユキヤナギの植え込みに囲まれて配置されています。
野球状を眺められる位置ではあるのですが、植え込みの分だけ微妙に距離が離れており、間に立てられた看板の方が目に入りがちです。
パーゴラの北側に、まず広場があり、そこから木立の向こうに本格的な遊具コーナーが続きます。
大きな砂場の中には、コンクリート擬木の登攀遊具。木登り体験ができるわけですが、たまには失敗して落ちることもあるでしょうから、足元の倒木とぶつからないように、もう少し離しておく方が良かったでしょう。
砂場の外には、鉄パイプの登攀遊具もあります。
木登りよりは登りやすいので、低年齢層にも対応しているということで、隣には幼児向けのゾウさんの滑り台も並んでいます。
また、その横には本物の木材を使ったブランコが2基。ほかの公園ではあまり見かけないタイプで、公園全体の雰囲気からしても、ここだけが木製遊具なことには唐突な印象があります。
ただ、この公園は、元々の溜池を埋める時に良い土をしっかりと入れたものか、園内の樹木がよく育っているので「木立に囲まれた木製ブランコ」というように目線を変えれば、だんだんと馴染んで見えてきます。
続いて園内最北部、タコ滑り台のある遊び場まで進みます。こちらは、タコ滑り台を中心に、近代的な複合遊具、4連ブランコ、登攀遊具、揺れる動物遊具などが配置されています。
タコ滑り台だけでも相当遊べるのですが、さらに複合遊具も並んでいることで、すこし遠くからでもわざわざ行きたくなるような遊び場になっています。
古い時代には擬木や鉄パイプだった登攀遊具も、21世紀には、このような形に進化しました。
そして、かつてはローラースケート場として整備されたらしき舗装広場は、壁当て野球などができるスペースとして認識されて、まったく違った使われ方になっていました。
まわりがグルリと壁で囲まれて周りと仕切られているので、幼児の自転車練習などにも良いように思います。
有名人たちも子供の頃に遊んだかも知れない、潮江公園でした。
(2024年5月訪問)
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