現地では漢字の園名板だけで、読み方がまったくわかならい西風釜公園。
帰ってから調べてみると「ならいがま」と読むようで、古い時代に、船乗りたちが西風(ナライ)を待った入江(カマ)であったようです。
ちなみに川島秀一『気仙沼漁港の”みなと文化”』によれば、”ナライの語源は、山に並んで(沿って)吹く風を意味している。そのために、土地によってナライが吹く方向が相違する”と書かれており、ナライに西風という字を充てるのは気仙沼だからのことのようです
さて、そんな古の名前を残す西風釜公園は、現在は南町と呼ばれる市街地の一角、2本の道路に挟まれた三角地にあり、おそらく東日本大震災後に作られた新しい小公園です。
公園としては一番狭い角、道路から見れば分かれ道の分岐点にあたる場所には、彫刻家・重岡建治の作品「道標(みちしるべ)」が飾られています。
周りに柵があってこれ以上近づけないのですが、顔の半分がピカピカに磨き上げられており、周りの景色が顔に映り込むことも含めての作品であるようです。
彫刻を通り越して園内に入り、いま来た方を振り返ります。写真にするとわかりにくいのですが、山沿いを走るおそらくは一番古い道と、港沿いを通る道、港へ通じる道が交差しており、道標を置くのに相応しい場所です。
再び振り返って、園内。円を3つ連ねたようなデザインで、パーゴラのあるスペース、小さな舗装の広場、少しだけ大きな土敷きの広場という構成になっています。
震災で様子は変わっていますが、もともとは気仙沼でも一番の繁華街に面しているので、ちょっとした地域のイベントなどにも使えるサイズです。
いちおう健康器具が数点置かれていますが、広さからしても日頃から活動的になにかに使うというよりは、散歩の途中で立ち寄ったり、ご近所さんがなんとなく集まって行き交うような広場型の利用になろうかと思います。
ところで、上写真で奥の方に見えている公園横の集合住宅は、中庭がオープンスペースになっており、モニュメントなどが飾られて誰でも見学できるようになっているので、少し入ってみました。
そうしますと「わが町・南町の歩み」と題された、非常にわかりやすく地区の歴史を教えてくれるアイテムがありました。昔の写真を見ると、やっぱり相当にぎわっていたようです。
こちらの作品は、日比淳史「時の芽」。
作品解説によれば「東日本大震災の津波で被災した小泉大橋の橋げたと、植物と共存している鉄の造形とで、時を表現したメモリアルです」とあります。
さらにステージの後ろには、次に来る津波に備えて、裏山へと最短距離で逃げ込むための階段もありました。
冒頭で、「わからない」を西風釜にならって「わかならい」と書いたことに気づいていただければ嬉しい西風釜公園でした。
(2023年10月訪問)
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