3121/1000 田島公園(大阪市生野区)

2022/10/01

山遊具 身近な公園 大阪市生野区 大阪府 発祥の地

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1996年(平成8年)に制定された比較的新しい記念日ですが、10月1日は「メガネの日」だそうです。そこで少しだけメガネに関わりのある大阪市生野区の田島公園を訪ねます。

田島公園は、生野区田島の田島神社と2022年(令和4年)3月で閉校した田島小学校(現・田島南小中一貫校)との間にある小公園です。ちなみに町名は「タジマ」、神社名はと小学校は「タシマ」と濁らずに読むようですが、公園名は町名に準ずるのでおそらく「タジマ」でしょう。

敷地の中央に石の山遊具を置き、周りを囲むように滑り台やブランコなどの遊具が配置されて、あまりはっきりとした広場空間がない、というスタイルは、大阪市ではよく見られる敷地の使い方です。

遊具が幼児向けともう少し大きな子向けの2個ずつあるのも大阪市の公園の特徴です。
これは幼児向けの滑り台とブランコ。滑り台は背が低く、ブランコはバケット式です。

こちらは、もう少し大きな子向けのブランコと滑り台。

さらにこの公園には、滑り台がもう1つあります。小さなラダー遊具が組み合わさっているので、複合遊具と言えなくもありません。

これに石の山遊具もあるので、滑り台だけで4基もあることになります。
小学校が隣にあって遊ぶ子供が多かったために、他の公園よりも少しだけ特別扱いされていたのかな、などと考えます。

旧小学校に面したところには、大きなパーゴラを中心にしたスペースがあって、遊具の周りとはまた違った雰囲気になっています。

大人の休憩にも良いのですが、子供たちにとっても、友達同士で遊びに行く前とか、帰り道のデートの時とかの待ち合わせにはちょうどよい感じです。

ここに飾られているのが「なかよし」と題された像。小兵力士が足取りで大型力士に挑んでいます。

「でもこの像、どこかで見たことあるな」と思い返してみると、同じ生野区のNo.500 御勝山公園にあったものでした。ただ、No.500のもののタイトルは「みんななかよし」で、微妙に違います。
タイトルだけでなく、像もよく見たら微妙に違うのかも知れませんが、そこまでの比較はできませんでした。

No.500 御勝山公園の「みんななかよし」

さて、ここからがメガネのお話。

こちらが小学校とは反対側にある田島神社で、公園とは玉垣一つ挟んで隣同士です。ここは少彦名命や菅原大神などを祀っておられるのですが、それ以上にメガネ推しが盛んな神社です。

その背景は、ここの石碑に刻まれています。

奥にある背の高いものが、この地にメガネづくりの技術を伝えた石田太治郎さんを称える頌徳碑で、1913年(大正2年)のもの。
1831年(天保2年)、田嶋村の農家に生まれた石田さんが幼くして右脚の自由を失い、農家を継ぐことができず、奮然と起って兵庫県の丹波で眼鏡製作の技を習い、田島に持ち帰って広めたことが讃えられています。

背の低い方は、1992年(平成4年)建てられた発祥之地碑。
古い頌徳碑にはハッキリと「丹波で学んで、田島で広めた」と書いてあるのに、80年後に建てられた碑は”発祥の地”になってしまうことに、歴史の書き換えのような不気味さを感じるのは考えすぎでしょうか。

■解説碑文より「眼鏡レンズ発祥之地」
わが国の眼鏡レンズ発祥之地は、生野田島町であります。
安政4年始祖石田太治郎翁がレンズ研磨を手工業として当地に伝え、農家の副業とし、明治時代を経て来ました。大正5年本格的生産に乗り出し生産高50万ダースの規模となり、昭和10年には、わが国眼鏡レンズの産地を確立しました。
貿易も始まり戦時重要統制産業組合を経て、昭和26年大阪眼鏡レンズ製造工業協同組合を創立し、医療用具レンズの生産地として各国に輸出し、昭和50年出荷額172億円に達し隆昌を極めました。
ここに135年の歴史と産業の礎を記念し新たなる決意を後世に伝えます。

平成4年11月吉日 大阪眼鏡レンズ製造工業協同組合

公園から離れて神社に行ったら、変な締めくくりになってしまった田島公園でした。

(2022年4月訪問)

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