浜比嘉島には「浜」と「比嘉」という2つの大字があります。そのうち、島の東側を占める「比嘉」にあるのが比嘉公園(「浜」の浜公園は、No.2867で訪ねました)。
比嘉集落の西にそびえる(というほども高くはないのですが)比嘉グスクのふもとにあります。
一枚目の写真よりも、もう少し近寄ったところから。山裾の小さな平坦地を造成して作った公園が見えてきます。
集落の中から回り込んで、公園の出入口まで来ました。
出入口は1つだけで、等高線沿いに何十メートルか進んだら戻ってくるしかない構造になっています。
園内へと進むと、階段があって上下2段に分かれています。
下段の方が平場がいくぶん広く取ってあり、そこに遊具が置かれています。
遊具はアスレチック系の、あまりうまく説明できないものが1点。でも壊れて使用停止になっているので、本来はどんな遊具なのかがわかりません。
たぶん枝からぶら下がった鎖の先についた浮き玉のようなものに乗っかって遊ぶのだろうということは想像できるのですが、ブランコのように揺れて遊ぶのか、あるいは浮き玉から浮き球へ飛び移って遊ぶのか。どっちもできるようにも思いますが。
そもそも、枝が6本に対して浮き玉が3つなのですが、これが本来の姿なのか、もともとは浮き玉がもっとたくさんあったのかも不明です。
そのすぐ横には、長さ20メートルほどのターザン遊具もありました。どちらかといえば、この遊具の方が傷んでいるように見えたのですが、いちおう使える状態でした。
階段に戻って上段に進みます。下段よりも細長く、ベンチとテーブルがあるくらいなので、使いみちから「展望園地」と呼ぶべき空間になっています。
それほど標高が高いわけではありませんが、集落には高い建物もないので、遠くの方まで見渡せます。
集落の先にある小島が「アマンジ」で、琉球開闢伝説に出てくるアマミチュー、シルミチューの男女二神が祀られています。左手奥の海の向こうに見えているのはNo.2864 宮城中央公園などがあった宮城島です。
■1996年の浜比嘉島
今回、この公園を訪ねたので、橋が架かる以前の1996年にこの島を訪れた時の写真を探してみました。
調べてみると当時は勝連半島の屋慶名から定期渡船が出ていたようなのですが、この時はツテのある同行者がいて、普通の漁船で運んでもらいました。
浜と比嘉、どちらの港に着いたのかは覚えていませんが、残っていた写真を見ると比嘉のような気がします。
島に着いたら、港にナンバープレートのない車がたくさん停まっていたことを覚えています。当時の離島ならではの光景だとは思いますが、その車が走り回っていたかどうかは、ここでは触れないようことにしましょう。
1996年の浜比嘉島 |
上の写真はブロック塀にアスファルト舗装ですが、まだ野面石積み家や未舗装でサンゴが敷かれた道路などもあって、昔の離島の風景が残っていました。
今回の訪問では、もうサンゴ道は見かけませんでした。
1996年の浜比嘉島 |
(2021年9月訪問)
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