2815/1000 馬天港の公園(沖縄県南城市)

2021/09/05

沖縄県 港にある公園 南城市

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沖縄本島南部の佐敷(さしき)、平成の大合併でいまは南城市になっている町に、馬天港(ばてんこう)という港があります。

もともと本島東海岸でも有数の良港で、15世紀に初めて琉球統一を成し遂げた尚巴志は、この港の貿易で力を蓄えたとされています。
那覇港よりも水深が深く大型の船でも接岸しやすかったため日本海軍もここを補給港として使用していたそうですが、そのせいもあってか戦後はアメリカ軍に接収されて軍港となり、返還された後は遠洋漁港へと転換しました。

本島東側にある南・北大東島や久高島などの離島へ向かう定期船もここを利用していたことから、1970年代までは多くの船と人が行き交う賑やかな港だったそうです。

しかし今は定期航路はなくなり、わずかな漁船と作業船くらいしかいない港になっているのですが、そんな馬天港に名前のわからない小公園があります。

と、まぁ見てきたようなことを書いていますが、前段部分はいつものように現地にあった解説板の受け売りです。

■馬天港
知念半島に囲まれた湾の西寄りの位置にあり、冬場に北風を受けるものの、波静かな天然の良港で、方言(しまくとぅば)でバティンンナトゥといいます。南側は遠浅の海が続いていたが、1969年から新開地区の埋立事業で昔日の面影はありません。
かつては山原船や大東港路船の出入港、海軍省の補給基地、スクラップの集積地、水産試験場、鯨解体処理工場、造船所、劇場などもあり、人口の流入も多く、料亭・飲食店なども増え、東海岸の要衝としての活気を呈していました。
馬天港ではかつてスンチャーや太刀魚の投縄漁などの漁業が盛んに行われ、風物詩とされていました。
スンチャーとは地曳網漁のことで、馬天港では年中行われていましたが、主に9月から3月頃が漁期となっていました。戦後もスンチャーは行われていましたが、先述の埋立事業などで良好な漁場などが失われ、1980年代以降には行われなくなりました。
投網には大型の網で行うチチョーンと小型の網で行うチチョーン小があり、津波古では網を投げることを「網打チュン」といいます。

南城市教育委員会 2017年1月設置

さて現在の公園。
港の中に軽く突き出したような形になっており、周りの眺めは良いのですが、港全体の構造からすると少し不思議な用地です。使われなくなった埠頭の間を埋め立てたのでしょうか。

公園のすぐ横には船揚場があり、ハーリーが置かれていました。

園内唯一の施設である大きな休憩所も、ハーリー柄の模様で彩られています。


休憩所以外は草敷きの広場だけなので、潮風に吹かれながら休憩をしたり、ぼんやりと港を眺めるような使い方になる馬天港の公園でした。

(2021年6月訪問)

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