沖縄県北谷町にある米軍基地を見下ろす3つの公園を訪ねるシリーズの2回目。宇地原公園です。
ここもNo.2709 桑江公園と同じように、丘と谷の地形を使った公園で、丘の突先に意味深長な展望台があるところが共通しています。
2階に上っていま来た方を見ると、まぁ広場は見えるわけですが、それ以外にこれといったものは見えません。
そして反対側を見ると、木々の合間の一般住宅越しに米軍基地・キャンプ桑江(レスター)の芝生がチラッと見えています。
この奪われた土地を見つめるために展望台が設置されたと思うのは、考えすぎでしょうか。
斜面の一番上に、どことなく森の隠れ家のような雰囲気のデッキがあり、そこからチューブ式の滑り台が延びています。
斜面そのものの勾配があるので、結構な勢いがついて楽しそうな滑り台です。
そして滑り出た斜面の中間部には揺れる動物遊具のコーナーがあって、
斜面の下半分は大きな岩が埋め込まれて天然の「斜面岩登り」になっています...と思ってよく見たら、この岩はプラスチック製の模造岩でした。
”ガー”は沖縄の言葉で湧水井戸のことですが、”ホース”の意味がわかりません。
再び展望台のあった方に戻り、そこから南の方へと下りてくると、公園本体とは少しだけ離れた場所に井泉がある園地があって、井泉の名は「ホースガー」だと看板が出ていました。
”ガー”は沖縄の言葉で湧水井戸のことですが、”ホース”の意味がわかりません。
「馬(horse)のことではないだろうし...」と思いつつ、沖縄では米軍統治の影響で妙なところに英語が入り込んでいることもあるので資料にあたってみると、これがなんとホース(hose)のことでした!
戦前はウージバルのウージガーと呼ばれていたものが、戦後になってゴムホースを使って配水をしていたため「ホースガー」と呼ばれるようになったとか。
曇天に寒緋桜が映える宇地原公園でした。
(2021年2月訪問)
戦前はウージバルのウージガーと呼ばれていたものが、戦後になってゴムホースを使って配水をしていたため「ホースガー」と呼ばれるようになったとか。
■ホースガー
アガリウージバルとイリウージバルの境にある湧き水。石積みのカーだった。ウージバルにはウージガーの水を利用した田んぼが少しあった。その近くに、他にも小さい泉が2つくらいあった。戦後、全域が米軍の占領地となった北谷村のなかで、謝苅はいち早く居住許可地区になったため、人がたくさん入ってきた。
その人たちが、ウージガーを飲料水や生活用水として利用していた。ゴムホースを入れて配水していたので、戦後はホースガーとも言われるようになった。現在はホースガーの呼び方が一般的になっている。コンクリートで整備されている。
『北谷町の地名-戦前の北谷の姿』(北谷町教育委員会,H18,2006)より
現在は更に作り直されて水遊び場のように仕立てられていますが、戦後の人々の暮らしを支えた大事なガーなのでした。それにしてもゴムホースだったとは...
と思いつつ考えてみると、きっと戦後すぐの沖縄の人たちにとっては、ゴムホース自体が珍しかったのではないかと思い当たりました。
「日本におけるゴムホースの製造と普及の歴史」に詳しい方に聞いてみないとわかりませんが、なんとなく、戦後に米軍が大量に持ち込んだゴムホースを活用して水場を整備した沖縄の人たちの姿が(勝手に)目に浮かびます。
(2021年2月訪問)
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