2606/1000 柳原公園(新潟県長岡市)

2020/12/06

社寺御嶽 新潟県 身近な公園 戦没者慰霊碑 長岡市

t f B! P L
柳原公園は、長岡市街地を流れる柿川沿い、柳原の神明神社の隣にある小公園です。
下の写真は柿川に架かる橋の上からお社と公園を眺めたところ。

視点場を変えて、公園全体とお社を見てみると、こんな位置関係です。

園内からは社殿の側面だけがよく見えるのですが、窓が少なく屋根の高い外観が、どことなく雪山のスキーロッジを思い起こさせます。

その社殿の横には、切り株と玉切り丸太とでつくられた境界柵というか、物理的には柵の働きはないので心理的な結界というべきか、とにかくお社と公園とを区切るものが設置されています。

このように構成された小さな敷地に、滑り台、ブランコ、回転遊具、砂場などが設置されています。

滑り部が黄色い滑り台と、やや小ぶりな2連ブランコは、長岡市街地の公園ではよく見かけるタイプのものです。

鳥かごのような形の回転遊具も、No.2603 千歳公園で見かけたものと同タイプです。
全国的には、安全性への懸念から回転遊具というカテゴリー自体が減少傾向にあるので、できるだけ大事に使って頂きたいものです。

そして、敷地の端の川沿いには「柿川戦災殉難地」の碑が建てられています。
長岡市の大空襲では、No.2605 平潟公園の平潟神社境内と並んで、ここ神明神社の境内まで逃げてきて亡くなった方が多かったということで、今も大切に祀られています。

■碑文より「柿川戦災殉難地」
清き柿川の辺り柳原町神明神社境内で昭和20年8月1日夜太平洋戦争に於て此の地に空爆死された犠牲者の冥福を祈り命日50回忌を期に哀悼の意を捧げる。
 当日 長岡市内 1407名
 周辺住民 54名
 柳原神明社境内中で 153名(中略)
平成7年7月31日 長岡市 長岡市教育委員会

No.2605でも同じものを引用しましたが、総務省がHPで公開している「国内各都市の戦災の状況」から抜粋すれば、空襲翌朝の神明神社の様子は次のようであったそうです。

●長岡市における戦災の状況(総務省:一般戦災死没者の追悼)
 悪夢の一夜が明けて人々が目にしたものは、一面の焼け野原と黒焦げになった無残な遺体だった。当時の長岡警察署の警部の『戦災メモ』には、次のように記されている。「2日の朝早々に市内をひとめぐりして平潟神社の境内に足をとめた。言いようのない臭気が鼻をつく。屍々累々とはこのことだろうと思った。死体は衣服が焼け、半裸か一糸纏わないものが多かった。母親が子どもの顔を抱きしめているもの、母子がお互いに離れまいとして、手と手を握り締めているものなどで、婦女子なだけにひとしお哀れであった。思わず合掌せずにはいられなかった。
 亡くなられた方が一番多かったのは、平潟神社と柳原の神明さまの境内、そこに掘られた防空壕。それに、その近くを流れる柿川の中であった。……」
遺体を焼く火は三昼夜も続いたという。そして長岡空襲から2週間後の8月15日に終戦の日を迎えた。

小さな敷地の中に、戦災の記憶と記録を残す柳原公園でした。

(2020年7月訪問)

ブログ内検索 Search

アーカイブ Archive

地図 Map

問い合わせ Contact

名前

メール *

メッセージ *

Facebook Page

QooQ