この外堀川のうち、約1.4キロの区間の両岸に整備されているのが運河公園です。
■現地の解説板より「運河公園の由来」
関ヶ原の合戦で功績のあった池田三左衛門輝政は1600年(慶長5年)姫路にお国入りしました。輝政は姫路城の改修を行うと共に、姫路城に瀬戸内海の船を引き込もうと運河の工事を進めましたが、工事は途中で中止されました。
今では、輝政の名を取って三左衛門堀と呼ばれています。
現在周辺は姫路の新都心として整備が進められ三左衛門堀沿いも水と緑豊かな運河公園として親しまれています。
西暦2000年(平成12年)3月 姫路市
本ブログは、サラッ書いてサラッと読めるサイズ感でやっているので、ここのように両岸に分かれて場所ごとに変化に富んだ公園は苦手なのですが、せっかく訪ねたので歩いた範囲のことだけサラッと書いておきます。
まず姫路市役所の北に位置する三左衛門堀橋付近の西岸には、「城陽翔鯱」と刻まれた土地区画整理事業の記念碑があります。
非常にヤンキーっぽい四文字造語ですが、区画整理事業のサブタイトルではなく、このモニュメントの作品名のようです。
この付近は和風デザインが取り入れられており、木材を使ったトイレや東屋などが設置されています。
100メートルほど北上すると和風デザインは姿を消し、砂場や揺れる動物遊具、大人向けの健康器具などがある一角となります。
さらに100メートルほど北上すると、またちょっとだけ和風デザインを取り入れた水景施設が現れました。
ここの対岸(東岸)は回転椅子のある遊び場になっていて、おおむね橋ごとに区切って、東-西で交互に遊び場-園地が配置されているようです。
とはいえ、どことなく西岸の方が遊具が充実しているように思います。全域を丹念に見て回ったわけではありませんが。
でもそれは、この滑り台&ガケ登り遊具群が西岸にあるせいで、気持ちが西岸に引っ張られているのかも知れません。
なんだかメーカーの見本市のような雰囲気です。
見ていると、以前に訪れたNo.1619 さくら坂公園の滑り台群のことを思い出しました。
No.1619の滑り台群 |
木製遊具の遊び場も西岸です。
かなり端折った記事になったので、いつか機会があればもっと丹念に見て回りたい運河公園でした。
(2020年2月訪問)
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