神戸市西部の枝吉(えだよし)地区は、昭和の中ごろに区画整理事業が行なわれて、それまでの農村から住宅地へと変貌を遂げたのですが、その際に室町時代中頃に付近を治めていた明石氏が築いたとされる枝吉城(えだよしじょう、しきつじょう)のあった丘が一部残されました。
さらに、その丘のうち、神社境内に含まれる部分などを除いたごく一部、約1,000平米が枝吉公園となっています。
上写真の中央にある階段を上っていくと、すぐに休憩所のある小さな広場があって、そこから先は柵で行き止まりになっています。
公園の鉄柵と、神社の玉垣がせめぎあっていて、公園から直接に神社へ入ることはできません。
城跡の中心部ともつながっておらず、全体的に掴みどころのない枝吉公園でした。
(2020年3月訪問)
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