この船上城の本丸跡近くにあるのが、船上西公園です。
ということで、園内には「船上城跡散策地図」が設置されていました。
この地図が、過去と現在の姿を簡単に比較でき、解説も充実している優れものです。
■現地の解説板より「船上城」(抜粋整理)
船上城は、明石川河口部の西岸に築かれた平城です。
天正13年(1585)織田信長の死後、天下統一を目指す豊臣秀吉により大名の国替えが行われ、明石には摂津国高槻から高山右近が6万石で移されました。
船上城はこの時に築かれますが、それ以前に別所吉親(三木城主別所長治の一族)が拠っていた林ノ城をこの時に整備・拡充したものとも言われています。
解説板によれば、公園から水路(古城川)越しに見えるあたりが字古城。小高くなったところが、船上城の本丸跡にあたる場所のようです。
周りを農地や住宅に囲まれた15メートル四方くらいの盛土で、上にはお社があるようです。
撮影の向きが違うと思いますが、『ふるさと明石・写真帳』(2007,播磨学研究所編、木村時彦・佐藤光俊写真)に掲載されていた、1964年(昭和39年)の写真でみると、もう少し盛土の様子がよくわかります。
この頃と比べると、盛土部分が少し小さくなっているでしょうか。
さて、船上城跡を眺めてから、本題の公園内。
東の一辺だけで道路に接し、東西方向にやや細長い形状をしています。
東にある出入口から入ると、手前に大きく広場をとり、奥の方に藤棚、その向こうに遊具コーナーがあります。
遊具コーナーは、滑り台と砂場くらいで、それほど充実した内容ではありません。
150メートルほど離れたところには、遊具が充実したNo.2095 船上東公園がありますので、それとは競合せず、住み分けている雰囲気があります。
花壇のお花もきれいに飾られていましたので、子供の遊び場ではなく、大人がゆっくりできる形に変えていっても良いと感じた船上西公園でした。
(2019年2月訪問)
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