明治以降、明石城下町が現在のような市街地へと発展する中で、船上地区でも耕地整理を行なうことになったようで、1925年(大正14年)に耕地整理のための組合が設立され、1928年(昭和3年)に竣工しています。
そのあたりのことは、船上東公園の中に建つ、改耕記念碑に刻まれていました。
現在の船上東公園は、耕地整理の名残のある長方形状の整った敷地の中に、石の山遊具、滑り台、小広場などを持つ公園となっています。
目立つのは石の山遊具で、同じ明石市内のNo.1755 一番町公園にあった山遊具と同型のものです。
No.1755 一番町公園の山遊具 |
山そのものはシンプルなのですが、付け加わった土管部分が、遊びのバリエーションを増やす上でよい働きをしています。
「山遊具あるところ、プレーウォールあり」というほどの関係性はあるのかないのかわかりませんが、ここでも柔らかい色合いに塗られたプレーウォールがありました。
砂場のそばにはコンクリート製の動物遊具。
奥のラクダはよく見かけますが、手前のサイはそこそこレア物です。
敷地の中ほどには、スパイラル滑り台を中心とした複合遊具もあります。
3本の滑り台とラダー遊具、チェーンネット遊具などが組み合わさっているのですが、屋根のついたデッキ部が縦方向にシュッと飛び出ていて、尖塔のようなシンボル性もあります。
そして、残る遊具はなぜか雲梯。
雲梯になにも悪気はないのですが、児童公園として色々な遊具があるのに、ブランコがないことが気にかかります。
今はしっかりと明石市街地の一部になっている船上東公園でした。
(2019年2月訪問)
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