2018年4月20日

1770/1000 手賀沼公園(千葉県我孫子市)

千葉県にある手賀沼(てがぬま)は、一周15キロくらいある大きな海跡湖です。
今でも十分に大きいのですが、戦後に干拓事業が行なわれて、かつての半分くらいの大きさになっているそうです。たしかに私が小学生だった40年位前には、干拓と言えば手賀沼、秋田の八郎潟、岡山の児島湾が取り上げられていたような気がします。

その手賀沼の北岸に、手賀沼公園があります。

手賀沼水環境保全協議会のサイトより引用
http://www.tesuikyo.jp/

特段に大きな公園ではないのですが、我孫子のシンボルである手賀沼の水辺と景観を取り込んで、非常に気持ちの良い空間がつくられています。
公園施設ではないようなのですが水際にボートハウスがあり、手漕ぎボート、スワンボートなどを借りることもできます。

中でも特徴的なのは、手賀沼に向かって突き出した「公園岬」です。
と、言いながら、訪れた時間帯の光線の都合で、岬全体が入るような写真は撮れませんでした。下写真で奥の方に見えるのが岬の付け根部分。

そして岬の中を進んで、いま来た方に振り返ると、手前にケヤキ、奥にメタセコイヤの並木があります。
現地の案内板によれば、元々この場所にはポプラ並木があったそうですが、倒れたり弱ったりしたのでメタセコイヤに植え替えられたそうです。ポプラが風に弱いことは、今では知られていますが、50年前の植栽時にはあまり考えに入れていなかったのかも知れません。
●現地の案内板より
皆様に親しまれたポプラは、昭和40年5月にこの広場に植えられ約40年が経過しました。
平成9年度には、「市内外から多くの人が訪れる水辺にあり、我孫子の景観のシンボル的な存在として広く親しまれている」と高く評価され第1回我孫子市景観賞を受賞しましたが、台風等による倒木で昭和62年2月には19本あったポプラが、平成15年2月には7本になっていました。
しかし、残ったポプラも、樹木健全度調査の結果、「病虫害に侵され、倒木の危険がある」と報告されました。長年親しんできたポプラを惜しむ声も多くありましたが公園内の樹木としての安全性を考えて、平成16年8月23日に伐採しました。
また、これまでの景観の継承を考慮して、水や風、病虫害に強く、水辺の景観樹に使われているメタセコイヤを新たな公園のシンボルとして平成16年11月9日植栽しました。

そして「岬の先端まで行くと...」という説明にふさわしい写真を撮りたかったのですが、園路やベンチを占拠して投げ釣りをしている人たちがいたので、これ以上近づくことができませんでした。

公園内での投げ釣りは禁止されており、ほぼこの人たちだけをターゲットにした注意看板も設置されているのですが、如何ともし難いところです。

仕方がないのでルートを変えて、大きな芝生広場の方へ行きました。
すると広場のあちこちを黒い鳥が歩いています。

近づくと逃げるので、カメラでズーム撮影をしてみました。オオバンですね。
こんな芝生地でもエサになるものが落ちているのでしょうか。

芝生広場の北端あたりにはバスケットゴールがあり、そこからさらに北に進むと、子供向けの遊具広場になります。

遊具広場には、木製の砦風複合遊具、揺れる動物遊具、砂場などもあるのですが、加えてミニ鉄道も走っています。

複合遊具は、大・小2つあり、大きい方は2階からの高さがある滑り台が付いています。


こちらは、上のものよりは少し小ぶりな複合遊具。

揺れる動物は、我孫子市のマスコットらしきものが採用されています。
その場ではナマズだと思ったのですが、帰ってから調べてみると名前は「手賀沼のうなきちさん」なのでウナギだったようです。

そして、こちらがミニ鉄道「あゆみの郷鉄道」の線路と踏切。遊具広場の周り200メートルほどを一周する線路が敷かれています。
学校が休みの日だけ運行しているそうですが、残念ながら私が訪れたのは平日の朝でした。

こちらが駅。

駅名表示板には隣の駅が書かれていますが、当然ながら手賀沼公園から出ていく線路は敷かれていません。

そして駅から更に北へ向かうと、公園の一番北東の角に、「血脇先生謝恩之碑」が建てられていました。またしても逆光で、なんだかよくわからない写真になってしまいましたが。

血脇先生とは、野口英世の育ての親・血脇守之助のことです。
若い頃の野口英世に学費・生活費などを提供し、渡したはずのアメリカへの留学費用を料亭で使い果たされたけれどまた貸してあげた人物ですが、我孫子市の出身とは知りませんでした。

■碑横の解説より
血脇先生謝恩之碑
この謝恩之碑は、昭和15年に我孫子駅前(我孫子市緑1丁目2642番の2)、市街地内に建立されていたものであるが我孫子駅前一帯の都市改造計画により、同敷地が道路用地に指定されたので、大学と我孫子市が協議の結果、謝恩之碑建立に最もふさわしい市立手賀沼公園内の現在地に移設したものである。

昭和53年10月26日 東京歯科大学
血脇先生謝恩之碑の移設について
この謝恩之碑は手賀沼公園の再整備事業により現在地に再移設したものである
昭和15年4月19日 東京歯科大学 我孫子市

ほかにも記録しておきたい物件はあったのですが、逆光に悩まされた手賀沼公園でした。

(2018年1月訪問)


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