この軌道が現在のJR東北本線を高架で跨ぐ箇所があり、その前後に高架橋に繋がる背の高い盛土山が築かれました。山の上をチンチンと音を鳴らしながら電車が通るので、付いた呼び名が「ちんちん山」。
戦時中に陸軍が撮影した空中写真にも、地上を通る現JR線が二股に分かれるあたりで、その上を高架で越えていくトロッコの軌道が写っています。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 整理番号:C36(8913)/コース番号:C2 写真番号:407/撮影年月日:1944/10/24(昭19) |
■現地の解説板より「ちんちん山のトンネル」
明治時代から昭和にかけて、北区とその周辺には、陸軍の関連施設が数多く存在していました。その当時、これらの施設は、物資や人間を運搬するための軍用鉄道と呼ばれる専用軌道で結ばれていました。この辺りでは、板橋、十条の火薬製造工場と王子の火薬製造工場を結ぶ軍用電車が、チンチンと鐘の音を鳴らしながら、盛土の上を走っていたそうです。そのため、付近の住民は、この盛土を俗に「ちんちん山」という愛称で呼んでいました。
かつて、この場所には、ちんちん山の下をくぐる石積みのトンネルがありました。このトンネルの上部には、3個のだんごを三角形の形に並べ、その上に、もう1つだんごを乗せたような珍しいマーク(当時の東京砲兵工廠のマーク)が刻まれていました。現在、このマークを含め、トンネルの石積みの一部が園内でモニュメントとして使われています。
現在は盛土山ではなくコンクリート製の高架橋で大きくまたぐ構造に置き換わっていますが、なんとなくは当時のスケール感がうかがわれます。この高さで土が盛ってあれば、そりゃぁ「山」と呼びますわな。
で、その高架橋の下に設けられているのが、ちんちん山児童遊園です。
ここまでは割と大きなスケールの話をしてきましたが、公園は高架下の空きスペースを使った小さなものです。
園内は、コンクリート柱の手前側にある石敷きの小広場と、柱の向こうのフェンスに囲まれた土敷きの広場とに大別されます。
2つの広場の間にあるのが、上で引用した解説板で紹介されていた「ちんちん山のトンネル」の一部を保存したモニュメントです。
反対側から見ると、このようになります。
ただ、トンネルから高架道路、すなわちかつてのトロッコ軌道がこう見えているということは、本来のトンネルの向きから90度ずれています。この向きだと、トロッコがこのトンネルから出てきてしまいますよね。
色々と事情はあるのでしょうが、どうせ保存するなら向きにも気を使って欲しかったちんちん山児童遊園でした。
(2018年1月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿