1582/1000 三木鉄道記念公園(兵庫県三木市)

2017/09/12

三木市 鉄道遺産 兵庫県

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この公園があるのは、かつては国鉄三木(みき)線、後に第三セクターの三木鉄道の三木駅があった場所です。大正時代から約90年に渡って駅として続いていましたが、路線そのものが2008年(平成20年)に全線廃止となり、その2年後に駅跡が鉄道の名残を残す公園として生まれ変わりました。

もともと三木線の終点駅で、駅舎、プラットホームのほかに車庫などがあったのですが、今もそれらが活用されて公園施設になっています。
大きな屋根の休憩所は、駅の時代は駐輪場だったようです。

駅舎は、三木鉄道の資料などを展示するコミュニティ施設「三木鉄道ふれあい館」として使われています。

しかし、いちばん公園らしい活かし方と言えば、こちらのサイクルトロッコでしょう。
もともとの線路を使って作られた片道200メートルほどのコースを、4人乗りの足こぎトロッコで往復することができます。無料ですが、土日で係の人がいる時しか乗ることはできません。

私は土曜日に訪れたので、さっそく乗せてもらって出発です。
トロッコの前後に2人ずつが座り、常に前2人が漕ぐようになっているのですが、子供だけだと結構重くて、かなりゆっくりのんびりと走る感じです。

線路脇には、かつての三木鉄道の駅名が表示されています。三木駅から加古川線と接続する厄神駅を含めて、9つの駅がありました。

途中には踏切もあります。
遮断器も警報機もないので第4種踏切相当ですが、人が通過している時は、トロッコが止まってあげる方が良いでしょう。

約200メートル進んだところで、唐突に終点が訪れます。ここまで来たら前後を乗り換えて、戻らねばなりません。
工事用のフェンスの向こうには遊歩道用に架け直された橋があり、さらに向こうには未整備の廃線敷がずっと続いています。おそらく廃線敷を使った遊歩道の計画があって、これが通じた時に線路の終点も改造されて、いくらかの区間を遊歩道に振り返られるものと思われます。

その時は、トロッコ線路ではなく、こちらの園路に繋がることでしょう。

沿線には、ほかにもチラホラと鉄道の名残と鉄道っぽいものが設置されています。
これは信号機。当時のものを使っているように思います。

蒸気機関車型の複合遊具。

電車型の揺れる乗り物遊具もあります。

あと、鉄道とは特に関係ないブランコ、多目的広場などもあります。

ちょっと目についたのは、こちらのベンチ。
左右にテーブルが付いているほか、真ん中には赤ちゃんを座らせるイスも付いていて、家族でピクニックなどに使えるようになっています。木陰にあれば、なお良かったかも。

こちらのサクラは、三木鉄道の車両が転売されて使われている、岐阜県の樽見鉄道の沿線にある「薄墨桜」から育てたものだということです。

解説板については、全体的に薄ぼんやりとした記述ですが、小さな縁を大事にしている様子は伝わってきます。

●現地の解説板より 三木鉄道跡地と「薄墨桜」
その昔、三木の志染の里に二人の皇子が隠れ住んだとの伝説がある窟屋の金水(いわやのきんすい)、その二皇子と縁のある第26代継体天皇がお手植えの桜が、「薄墨桜」(別名:エドヒガンザクラ)です。
「薄墨桜」の故郷は、岐阜県本巣市の根尾谷にあり、樹齢1500余年を経て、今なお咲き続けています。
平成20年12月三木鉄道の廃線により、車両が岐阜県の樽見鉄道に売却され、現在も「薄墨桜」を背景にして活躍しています。その縁の深い苗木を譲り受け、ここに記念植樹します。
遠い昔から三木市と本巣市(旧根尾村)が、何か不思議な歴史の流れで、繋がっている想いがします。

平成23年6月吉日 うすずみ桜想会

ちなみに解説文に出てくる「二人の皇子」とは、第23代・顕宗天皇と第24代・仁賢天皇の兄弟のことで、兄の仁賢天皇の子である第25代・武烈天皇が亡くなって跡継ぎがいなくなった時に、色々と政局争いがあって、結果的に越前国にいた応神天皇の子孫が担ぎ出されて第26代・継体天皇になったとされています。
地方出身の継体天皇は血筋としては傍系であり、顕宗、仁賢、武烈と続いた勢力とは異なる支持基盤を持っていたと考えられており、武烈の娘を皇后に迎えたのも一種の宥和政策だと捉えられます。

そんな感じで、鉄道は無くなっても、色々な縁は続いていく三木鉄道記念公園でした。

(2017年6月訪問)

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