ここは昭和44年(1969)まで都電車庫があった場所だということで、その廃止跡地に都営アパート、公園、保育所などが一体的に整備されたようです。
●現地の解説板より「都電車庫跡」
このあたりには、都電の広尾電車営業所がありました。営業所は、大正7年8月(1918)に開設され、都電の車庫も兼ねていました。
都電の歴史は、明治15年(1882)6月に新橋~日本橋間を走った鉄道馬車が起源と言われています。同36年(1903)8月に動力が馬から電気へと切り替わり、同39年3月に信濃町~天現寺橋までの区間が開通しました。同44年8月に東京市がそれら事業を東京鉄道から買収し、市営化して東京市電が誕生することとなります。
順次路線は延び、大正2年(1913)4月には、天現寺・伊達跡間が開通します。さらに、同13年5月までに、玉川電気鉄道(のち、東京横浜電鉄に合併)の路線が渋谷から天現寺橋まで開通しました。
この渋谷~天現寺橋間及び渋谷橋~中目黒間は、昭和13年(1938)10月には、経営を東京市に委託(昭和23年3月に正式に都に売却)することとなりました。同18年7月の都政施行により、通称を都電と呼ぶようになりました。
昭和30年代に入ると、都電は交通渋滞の誘因ともなったことから、渋谷界隈を走っていた都電も昭和42年12月から順次廃止されてゆきました。広尾電車営業所跡は、7系統(四谷3~泉岳寺前)、33系統(四谷3~浜松町1)、34系統(渋谷駅前~金杉橋)の廃止を受けて、同44年10月に、その役割を終えます。
渋谷区教育委員会
正面から園内に入ると、まず人工芝の広場が広がっています。
周りの状況からして、球技用ではなく子供の遊び場として整備されているものと思われます。
その奥に進むと、庭園風の水遊び場があります。
私が訪れたのが8月とは言え、雨模様の朝9時すぎだったために静かなものですが、天気が良ければ賑わうのではないでしょうか。
池だけではなく、丘の上から小川が流れていくようになっています。
丘の上から園内を眺めたところ。
さらに奥へと進むと、公園の規模にしては大きめな、まだ新しい複合遊具があります。
大小2つの滑り台と、登攀壁、ネット橋などが組み合わさったものですが、本当はもう少し大きく作れるものを、敷地に合わせて小さく組み立て直したような窮屈さがあります。
少し俯瞰してみると、私の感じた窮屈さが伝わるでしょうか。
遊具そのものの大きさ・楽しさというのも大切なのですが、周囲にはもう少しスペースの余裕があって、何人かが溜まったり走り回ったりできる方が安心して遊ぶことができます。
ブランコも、比較的最近に座板の交換、2連分をバケット式に交換、ペンキ塗り直しなどのリニューアルが行われた雰囲気があります。
どうやら、奥に見えるフェンスの向こう側、元々は公園のボール遊び場だったところに区立の一時保育施設が建設され、それと前後して公園も色々とリニューアルが行われた模様です。
そんな中で、砂場はあまり変わっていないようです。
もう少し時間帯が遅ければ、きっと多くの子供で賑わっていたであろう広尾公園でした。
(2017年8月訪問)
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