すこし不思議な名前が耳に残る幸町棒鼻(さいわいちょう・ぼうばな)公園。
「幸町」が現在の町名、「棒鼻」が町名変更以前の字名・地名であることは想像がつきます。
その語源はよく知らないのですが、城下町を守るために道路を折り曲げて枡形を築いているところを棒鼻と呼ぶことがあるので、かつてはこの付近が鳥取城下町の出入口の一つにあたっていたと思われます。
そして今は、園名板が付いているコンクリート柱がそのまま遊具と車止めを兼ねているという斬新な施設が、子供たちを飛び出し事故から守っています。
ついでなので、『鳥取県大百科事典』(1984,新日本海新聞社)で棒鼻について調べると、おおむね次のように書かれていました(抜粋引用)
「江戸時代の鳥取城下の町外れにあたり、参勤交代路であった智頭街道が通る。
城下の出入口にあたることから、元文5年(1740)並木松が植えられ枡形が築かれた。棒鼻の名称が使用され始めた年代は不明だが、枡形築造以後のことと考えられる。伝馬の管理をする伝馬継立所とそれ以外の馬を収容する馬宿があり、馬医が置かれた」
今は松並木や馬宿を偲ぶようなものは何もなく、イチョウやプラタナスなどが割と雑然と植えられている印象です。
園内で目立っているのは、巨大な石の山遊具と砂場のコンビネーション。
滑り台の裏側は、とくに登攀遊具などは付けられておらず、シンプルな垂直壁に「幸町」と町の名が記されています。
横に蛇口も付いていて、なんだか貯水タンクのような外観ですが、そうした機能はないと思われます。
それとは別に、現代的な柔らかいフォルムの滑り台、ブランコなどの遊具もあります。
逆に太鼓橋のラダー遊具や鉄棒は古い時期の無骨なデザインのもので、長く使われている様子が見て取れます。
特に鉄棒は、継手など使わずに全部を溶接で繋げています。溶接部分にけっこう負荷がかかると思うのですが、よく長持ちしているものです。
個性的なのは、こちらの立ち乗りしてグルグル回る回転遊具。
見つけた時は、「同じ鳥取市内のNo.536 鹿野町公園で見たのと同じものだ!」と思ったのですが、改めて写真を並べてみると、ステップが滑りにくいものになっていたり、回転軸部分がしっかりしたものになっていたりと、No.536の方が進化していることに気づきます。
No.536 鹿野町公園にあった類似の遊具 |
そして、遊具以外に目立つのは、グラウンドゴルフ用と思しきスタートマットが、園内の各地に据え付けられていることです。
当然、グラウンドゴルフ専用の公園ではないのですが、愛好家の方の利用が多いのでしょうか、あちこちに据え付けられています。数えなかったのですが、グラウンドゴルフの標準8コース分があったかも知れません。
グラウンドゴルフと関係があるのか無いのかはわかりませんが、普通の公園にはない手作りのミーティングルームや焼却炉(兼暖房器具)、水場、倉庫なども設けられており、非常に濃密に公園と関わっている方々がおられるようです。
手づくりの焼却炉だけでは暖かさが足りないのでしょうか、焚火をした跡もありました。
一般的には都市公園内での焚火(直火)は条例等で禁止される行為ですが、よく見ると竹やみかんのようなものが混じっているので、ちょっと小さいけど、どんど焼きの跡かも知れません。
この水場の水道は、公園の公共水道ではなく、園外から水道管を引っ張ってきて接続しているように見受けられました。若干、公共のルールを逸脱している感もありますが、詳細はわからないのでこれくらいにしておきましょう。
いくつか考えさせられることはありますが、使われてこその公園というのも一方の事実なので、末永く使われて欲しい幸町棒鼻公園でした。
(2017年2月訪問)
【2023年1月追記】
その後、隣接地への市役所移転事業に伴って全面再整備が実施され、まったく違った姿の公園になったので、新しい記事を書きました。
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