ですので、園内にはプラットホーム跡が残るほか、当時の鉄道車両の保存展示などが行われています。
ホーム跡の上にも下にもサクラの樹が植えられています。私が訪れたのは冬だったのですが、春になればさぞ美しいことでしょう。
ホーム跡に近いところにある自転車置き場も、公園用につくられたものではなく、駅が現役だった頃に使われていたものではないかと思います。
冒頭にも掲載した車両は清水港線を走っていたディーゼル機関車なのですが、展示品としては機関車が牽引していたタンク車の方が重要なようで、解説の充実ぶりに大きな差があります。
タンク車の方には「日本初の技術」などの特徴があるからでしょうか。
●現地の解説板より「ディーゼル機関車」
貨物車輌の牽引、入換用として清水運送(株)が使用したものです。
15トンB型ディーゼル機関車
自重15トン/長さ6.5m/幅2.74m/高さ3.37m/最大牽引力4,500kg/最大速度15km/h/日本車輌製造(株) 昭和45年(1970)製造
●現地の解説板より「清水港線を走り続けたアルミナタンク車」
清水港線三保駅は昭和19年7月に開業し、この路線を使い日本軽金属(株)清水工場から蒲原工場へアルミナを送り、戦後は新潟工場にも輸送をしました。アルミナは別名酸化アルミニウムといい、白色の粉末で色々な輸送荷法の変遷を経てきました。
この車輌は、シャーシータンクとも高張力アルミニウム合金製のアルミナ輸送タンク車で、昭和34~42年にかけて製造された33輌の内のひとつです。日本軽金属(株)と日本車輌製造(株)が共同開発しました。初期のものは20年以上使用されましたが、その間殆ど無修理で国鉄本線と清水港線を走り続けました。
昭和59年3月31日に清水港線の廃止とともにこのタンク車も廃車となりました。
(寄贈:日本軽金属(株)清水工場)【特徴】
1)日本で最初のエアースライド(空気式排出装置)を搭載した粉末タンク車で、人手を用いず4.0トンのアルミナを約20分で排出することができた。
2)アルミニウム合金製で軽く、アルミナを多く積載することができた。(鉄製タンク車のアルミナ積載量3.0トンに対し、アルミニウム製は4.0トン)
3)塗装が不要である。
【仕様】
自重13.8トン/積載荷重4.0トン/容量57.1トン/最大長(連結面間)14.40m/最大幅2.63m/最大高3.79m
しかし、私がこの公園を訪ねた目的は「鉄道廃線敷の旅」ではなく、園内に2つ整備されている津波避難タワーです。
多分それぞれに呼び名があるのでしょうがわからないので、とりあえず南側のタワーから。
もともと人工の流れがあった場所の横につくられており、「いざ津波だ!」という時に流れに足元を取られて転びそうで心配ですが、ここにしか設置可能な場所がなかったのでしょうか。
No.1516 塩田公園にあったものは普段は立入禁止でしたが、ここのものは展望台を兼ねているため、普段から上ることができるようになっています。
できるだけ多くの人がスムーズに避難できるように、階段は二本が独立してつくられています。
しかし避難には良いのでしょうが、いかにも子供が手すりを飛び越えたり、鉄骨の桁によじ登ったりといった悪さをしそうな構造で、公園施設としては厳しいものとなっています。
もちろん階段のほかにスロープもあって、お年寄りでも避難できるようになっています。
頂上まで上ると広場状になっていて、ソーラーライトや、座板の下が物入れになっている収納ベンチが多数設置されています。
以前にNo.811 湊命山を見に行った時に、頂上部にベンチも倉庫もないことを心配しましたが、ここではそうした心配はしなくて良さそうです。
ベンチの中には、何を収納しているのでしょうか。
毛布や防水シート、工具類、非常食などが考えられますが…
いちおう展望台でもあるので、園内を見渡してみました。
先程のディーゼル車両のずっと向こうの方に富士山がよく見えます。
反対方向を眺めるとこんな感じ。
公園の軸線とは少しずれますが、東照宮のある久能山が見えています。
続いて園内北側にあるもう一つの津波避難タワー。
南側のものと規模は似ていますが、柱やその根回りの形状などが随分と違っています。もしかすると、メーカーが違うのかも知れません。収納ベンチの形状も異なっています。
そして一番の違いは、こちらは南側のタワー以上に展望台仕様となっており、無料の双眼鏡まで設置されていることです。
せっかくなので、双眼鏡ごしに富士山を撮ってみました。
この日は頂上が雲に隠れていますが、晴れていれば、富士山測候所が見えたかも?
なんだか津波避難タワーの存在感が強すぎて、すべり台があったことなど忘れてしまいそうな三保ふれあい広場でした。
(2017年1月訪問)
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