大阪府北部の丘陵地を切り拓いて作られた千里ニュータウンは、日本初の大規模ニュータウンです。1962年(昭和37年)にまちびらきが行われましたが、高野台は翌1963年から入居が始まっており、ニュータウン内でも古い住区ということになります。
その一角にあるのが高野公園。開発前の丘陵地形の一部を残す、起伏に富んだ敷地の公園となっています。
私の手元には、この公園の開園年が1976年(昭和51年)となっている資料と1965年(昭和40年)となっている資料があって迷うのですが、ニュータウン内の公共施設の管理をしている法人の資料によれば、公園内にあった南千里市民プールは1964年(昭和39年)の開業だそうですので、ここは1965年説を採りたいと思います。
ニュータウンの計画時の資料を参照すると、この場所は「大和谷公園」となっていますので、もともと谷地で水が溜まりやすいところにプールを置いたようです。
しかしプールは老朽化によって2015年(平成27年)限りで廃止となっており、私が訪れたときにはひっそりとしていました。
また公園全体も、よく言えば老成した雰囲気、悪く言えば古ぼけた雰囲気になっています。こうしたトピアリー(刈り込み)も、最近の公園ではあまり見なくなってきました。
訪れたのは5月でしたが、園内の広場はだいたいこの調子で、夏草が丈を伸ばし始めていました。
園路であろう部分も、早くも草がみっしり。本格的な夏になれば歩けなくなることでしょう。その前に1回くらいは草刈をするかも知れませんが。
そこそこ広い園内なのですが、遊具はブランコしか見当たりませんでした。
円形広場のベンチの円形ベンチも、遊び道具になりそうです。
地形・植生保全を重視し、景観や散策を楽しむ公園としての道を歩みつつある高野公園でした。
おまけ.
公園の隣にある商業施設(近隣センター)と公園とは、このような立体交差で繋がっています。階段自体を公園側に引き寄せて、素直に斜面を階段で上れば良いようにも思うのですが、近隣センター側で商品の搬入などに使う自動車動線と、公園に入る歩行者動線とが交わることを避けたかったのだと考えられます。
計画的かつ技術的・技巧的な繋ぎ方に、ニュータウンらしさを感じてしまいます。
(2016年5月訪問)
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