住の堂公園は、尼崎市内では唯一の式内社である伊佐具神社の南側に隣接している小公園で、おそらく元々はこの神社の境内地だったのではないかと想像されます。下写真は園内から見た伊佐具神社の鳥居。
●現地の解説板より「伊佐具神社」
『延喜式』(10世紀初めに編さんされた法令集)のなかの神名帳にしるされた摂津国川辺郡七座の第一の神社です。当社は市内で唯一の式内社の格式を持ち、祭神は伊狭城入彦皇子といわれています。上坂部・下坂部は大彦命の子孫である坂合部連が住んでいた土地ともいわれ、久々知の地名も命の子孫久々智氏から名付けられたようです。
当社は朝廷より神酒を賜わる例になっていたといわれ、また神酒を上坂部で醸造したため酒部といったともいわれています。さらに一説では、神埼の地名が、当神社の前という意味の神前から起ったと伝えられています。
またこの地域一帯は、元弘の変(1333年)の時、後醍醐天皇のため奮戦した赤松円心ゆかりのところで、境内には円心の墓と伝えられてきた五輪塔も残されています。
尼崎市教育委員会
下写真は、逆に神社の鳥居下から公園を見たところ。
少し見る位置と向きを変えてみると、こんな感じです。参道がそのまま公園へと繋がっている感じが伝わるでしょうか。
さて実際の園内ですが、すぐ南側にはNo.1305 近松公園があることとセットで捉えると、No.1305が全体に庭園風の落ち着いた公園となっているのに対して、こちらは児童向けの遊具広場型の公園となっています。
と言っても「各種遊具が目白押し!」と言うほどの規模でもなく、No.1302 上坂部公園にもあったコンクリート製の三叉滑り台とブランコ、砂場くらいです。
ところで、地面に埋め込まれた古タイヤ遊具を見ていて思ったこと。
この公園は開園からおそらく40年くらいが経っているのでしょうが、タイヤってこんなに劣化しないものなのですね。いくらか弾力性は失われているとしても、破けたり裂けたりは皆無。
もしかして、コンクリート製遊具よりも長持ちするのかも?
(2016年5月訪問)
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