1237/1000 聖蹟蒲田梅屋敷公園(東京都大田区)

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聖蹟は、本来は「天子が行幸した地や帝都の旧跡(デジタル大辞泉より)」という意味なのですが、現代日本に残るものは、大抵が明治天皇の行幸先です。
明治天皇の死後に国策として天皇の権威強化が進められる中で、明治天皇が巡幸の際に立ち寄った所、泊まった屋敷などが「聖蹟」となり、やがて国史跡にも指定され、戦後には一斉に解除されたことは、No.850 聖徳公園の記事で触れました。
ここも、そんな聖蹟の名を残す公園です。

とは言え、ここは何かのついでにチョロっと立ち寄ったわけでもなく、計9回の行幸があったそうですから、聖蹟の中でもいくぶん格上なのかも知れません。

現地の解説板より「明治天皇と梅屋敷」
梅屋敷は、明治元年(1868年)から明治30年(1897)の間に天皇の9度の行幸がありました。
天皇はことのほか梅屋敷の風致を好まれ、明治6年(1873)3月6日のご観梅のときには小梅一株をみずからお手植なされ、この梅は仙粧梅と称されて後に人々に愛されたと言われています。
その後昭和8年(1933)に史蹟として保存指定を受け、昭和13年に東京市へ寄付、さらに昭和28年(1953)に大田区に譲与され、現在に至っています。

そもそも、ここは江戸時代に東海道沿いの梅の名所として知られた梅屋敷があり、江戸の名所図会などにも描かれた場所でした。
今も東海道(第一京浜)に面しているので、騒々しくて面影はあまり感じられませんが。

園内には庭園の名残の池や流れがあり、それなりに落ち着いた雰囲気がありますが、やかましいのだけはどうしようもありません。

とくに私が訪れた時は、隣接地で京急本線の高架化工事が行われており、公園敷地も半分くらいが工事用地に取られていたため、梅も歌碑も台無しといった感じでした。

大屋根の掛かった立派な土俵もあったのですが、これもしばらく使われていない雰囲気です。

一方で、新しくウメを植えて育てている区画などもあって、ボチボチと工事後の再整備を睨んだ動きが始まっているのかも知れません。

とは言え、しばらくは梅よりも京急の3階建ての高架橋をじっくりと拝めるスポットになっている聖蹟蒲田梅屋敷公園でした。

大田区による公園紹介ページ

(2015年11月訪問)

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