1980年代~90年代前半くらいだったと思うのですが、「開かれた学校」という掛け声のもと、学校施設の開放や公園などとの用地の兼用が進められた時期がありました。
が、その後1997年(平成9年)の神戸連続児童殺傷事件、2001年(平成13年)の池田小学校無差別殺傷事件など児童を狙った陰惨な事件をきっかけに、「(空間的に)開かれた学校」の考え方は下火になり、今ではあまり聞かれなくなりました。
ここ名古屋市千種区の見附公園も、隣接する見附小学校の敷地と一体化させたものです。
そもそも、名古屋市では戦災復興事業以来、小学校と公園とを合わせて地域防災の要としてきました。市内には、そのパターンでの整備が百数十ヵ所あるそうですが、それらは基本的には間に道路やフェンスを挟んだ形状となっています。
しかし、1980~90年代初頭にコミュニティ機能増大などの目的で「学校公園構想」が推進され、校庭と公園とが一体化されたパターンが市内8ヵ所で整備されました。見附公園(見附学校公園)もその一つです。
資料によれば、竣工は1992年(平成4年)。
都市公園としては見附公園は、学校のグラウンド(下図A)から登っていく東側の斜面地(下図E)を中心としており、面積にして700平米ほど。さほど広くはありません。
そことグラウンドなどをあわせた部分が「見附学校公園」となっています。
公園部分には「ガリバーの丘」と名付けられた展望デッキが設けられており、西に広がる市街地方向の夜景が美しい穴場だということです。
がしかし、市街地に近い夜景の穴場などというのは、たいていの施設管理者にとっては負担の大きいものでして、そのせいなのか、利用可能な時間帯だったのにも関わらず出入口は施錠されており、入ることができませんでした。
後ほど見附小学校のホームページで確認すると「平日は公園入口を閉めます。公園をご利用の方は、正門へ回り、インターホンでその旨をお伝えください」と書かれていました。
「そんな面倒な公園、誰が使うねん!」と思いますが、ただでさえ学校内でやるべきことが多いのに、どこの誰とも分からない人が校内を歩きまわっているというのは、管理上の大きな負担になりますから仕方のないことかなぁとも思います。
ただ、これからの日本では既存公共施設の老朽化が進み、少子高齢時代に見合った規模・箇所数等へ見直すこと(公共施設再編・再配置)が必要になってきます。
そうした時に、今までとは違った視点から学校公園が求められると思われ、ここの事例が改めて注目されることもあると考えています。
そんなことを考えさせられる見附公園でした。
(2015年5月訪問)
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