芦原(あしはら)公園は、No.962 三軒家公園と同じく、木津川沿いの紡績工場の跡地につくられた公園です。川の西岸(三軒家公園)にあったのが大阪紡績(現在の東洋紡の前身の一つ)、東岸(芦原公園)にあったのが大日本紡績(現在のユニチカの前身の一つ)です。
原材料や製品の運搬に使いやすい川沿いに建てられた紡績の大工場は、関連・下請けの工場群を従えて戦前の「東洋のマンチェスター」と呼ばれた工業都市・大阪を支える原動力となりましたが、空襲や産業構造の変化によって衰退し、跡地は他用途に転換されます。
こうした転換は戦後のことだと思っていたのですが、芦原公園の開園は1943年(昭和18年)で、比較的早い時期に整備されたようです。
現在の公園は、中央に野球場を置き、その周囲にジョギングコース、テニスコート、ゲートボール場、ちょっぴりだけ遊具があるという構成で、もっぱら身近なスポーツのための公園になっています。
樹が大きく育っており、周回コースを使った朝のジョギング、ウォーキングなどが楽しそうです。
ゲートボール場は、もとはテニスコートと同じ毛足の短い人工芝が敷かれていたようなのですが、すっかり劣化して放置されているようでした。
公園の南隅が一般園地・遊具広場となっておりパーゴラ、ブランコ、揺れる乗り物遊具、鉄棒、砂場などがあります。
一方で、この南側は交通量の少ない裏道に面しているためかゴミの不法投棄が多いようで、道路側から投げ捨てられるのを防ぐためのバリケードが設けられていました。
市街地にしては広めで、静かで気持ちの良い場所なのですが、所々で草臥れ、綻びが見え隠れする芦原公園でした。
(2015年2月訪問)
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