No.965で大正区の区域は江戸時代の新田開発にちなむ地名・町名が多いことに触れましたが、橋の名前にもそれは残っており、この付近は東成郡千林村(現在の大阪市旭区千林)の岡島嘉平次が開いた新田地帯だったそうです。
今はどちらも大阪市内なのに千林と千林橋は全く違う所にあるので、少しややこしいところです。
橋自体は大正時代に整備された貯木場に架かっていたそうなので、田んぼがなくなって貯木場になる時に橋に名を残し、貯木場が埋められて住宅地になるときに公園に名を残したというプロセスではないかと思います。
さて、そんな千林橋(せんばやしばし)公園ですが、区画整理地らしい整った長方形の一区画を使った小公園です。
東西に細長い園内の西の方には小さいながらも広場があり、中ほどにはパーゴラと砂場、大小の滑り台などがあります。
東の方には小ぶりな石の山遊具があります。
私は山遊具が好きなので、色々と観察したかったのですが、この日はご近所の方らしき男性陣が山遊具のそばに集まっていたので遠慮しておきました。
誰もいない公園は寂しいのですが、利用者が多いのもブログを書く上では困りもので悩ましいところです。
(2015年2月訪問)
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