富小路殿と書いて「とみのこうじどの」。ここでの「殿」は御殿の意味で、鎌倉時代に天皇・上皇の御所としてしばしば使われた建物が、この公園の近くにあったそうです。
公園の所在地を京風に言えば「富小路二条上ル」ということになりますが、メインの出入口は富小路通りではなく、もう一本西の柳馬場通りに面して開いています。
このあたりは、三条・四条の繁華街からは少し離れ、古くからの町屋が少なくない地区にあたります。
公園の南隣はそうした町家の一軒で、北隣は明治中頃に建てられた京都ハリストス正教会の聖堂(写真では見えにくいですが)。古くからの日本様式のものと、明治期に積極的に取り入れられた西洋風のものが交錯する、非常に京都らしい景観の場所にあるとも言えます。
北隣の京都ハリストス正教会聖堂(京都生神女福音大聖堂)。1901年(明治34年)の木造建物ですが、100年以上たった今も美しい姿を見せています。
公園側から見て惜しいのは厳重に囲まれた煉瓦造りの壁で、この壁がなければ美しい建物の全貌を眺めることができるのですが、そこは信仰の場としての教会側の事情が優先されるので仕方がありません。
2つの建物の間に開いた公園の出入口から園内を見ると、こんな感じ。
何本かのイチョウをアクセントにして、滑り台、ブランコ、砂場、山遊具、鉄棒などが設置された児童公園仕立てです。
当初の開設は戦前のようですが何度かの改修を経ていると思われ、時代の異なる雰囲気の遊具が入り混じっています。滑り台と砂場との間に動物遊具を並べているあたりは、少し遊具が多すぎて窮屈に感じるほどです。
石の山遊具はNo.754 南岩本公園にあったものと同じ人面石の山なのですが、四面ある顔の仕立ては微妙に異なっており、とくに怒り顔(?)は南岩本公園には無かったものです。
公園の一番奥にはレンガ柱が立派なパーゴラがあります。
作りつけのコンクリート製ベンチの雰囲気から古いものだと思われますので、幾たびかの改修を乗り越えた園内最古の施設かも知れません。
さらにその奥には、小学校のグラウンドと、最近になって作られたと思われる東側の富小路通と繋がる園路があります。
これらが整備されたことで東西方向の通り抜けが便利になり、普段の利用上も防災上も機能が向上したと思われる富小路殿公園でした。
(2014年11月訪問)
【2019年7月追記】
久しぶりに富小路殿公園を通りがかったら、5年前の訪問時にはなかった地蔵堂が新しく建てられていました。
隣の教会の尖塔屋根との対比が、ますます面白くなりました。
地蔵堂本体に、さらに覆屋と鉄門を付けた立派なものです。
どこか町内のほかの場所で維持できなくなったお地蔵様が、移転してきたのでしょうか。
もともと富小路通側にも地蔵堂がありましたので、1公園2地蔵という体制になりました。
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