原因として、地すべり地の上部にある上ヶ原浄水場の建設時に出た土砂の処理、その後の水処理が拙かったのではないかという指摘もされ、山麓造成地の地すべり危険性が話題となりました。
国土交通省資料より引用 http://www.mlit.go.jp/common/001024314.pdf |
その地すべり地の復旧対策とあわせて整備されたのが地すべり資料館で、被害状況や土砂災害の仕組み、復旧対策の事業内容などが学べるようになっています。
その資料館の周りが緑地になっているのですが、この緑地自体が復旧対策事業の成果として生まれたもので、近隣住民にとっては慰霊の場、そして憩いの場、見学者にとっては学習の場となっています。
というわけで、呼び名がないので「資料館周辺の緑地」と呼びましたが、本当のところ緑地が主で資料館は従ということになります。
こちらが資料館内にある復旧工事の全体模型。
山の上から下まで、そして一番下の仁川の中まで、すべて対策工で埋め尽くされています。
対策工の基本は、斜面を段切りにして一気に滑らないようにした上で、傾斜が急なところは水を適当に逃がす隙間を持った井桁擁壁で固め、傾斜が緩いところは植物を育てることもできるのり枠工で固め、さらに地下には水を上手に集めて排水する集水管・配水管をたくさん通す、ということになります。
詳しくは資料館のサイトで図面を見てください。
ということで、段切りでできた平場は広場になっています。
傾斜が急なところは、無骨と言えば無骨ですが、工法の解説板を立てて見学施設の一部としています。
傾斜が緩いところは、樹木を植えているところと、シバザクラを植えているところがあります。
季節になれば一面のシバザクラが咲き誇るのですが、その時期の写真は詳しいサイトでご覧下さい。
地域情報サイト「西宮流」より引用して表示 http://nishinomiya-style.jp/ |
地下水を逃がす水路はホタルの住む小川になっています。
ちなみにこの水路は、本来は西宮市の文化財にも指定されてる「上ヶ原用水」の一部で、仁川上流の大井滝から取水して、下流の上ヶ原の台地へと流れているものです。大井滝の岩盤を掘削する大工事は34年にもおよび、開通したのは1802年のことだとか。
でもって、一番下にあたる仁川沿い。一見するとただの渓流のように見えますが、両岸の岩場は擬岩コンクリートブロックでつくられた人工のものです。
最初の方に載せた模型の写真でも、きっちり同じ場所に階段がつくられています。
そして慰霊碑。
震災からもう20年が経つのですが、お花や手彫りの仏像なども供えられ、地域の方々に大事されている様子が伝わってきました。
●神戸新聞関連記事 「埋もれた記憶 西宮・仁川の地滑り」(全15回)
●兵庫県HP 仁川百合野町地すべり資料館
(2014年9月訪問)
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