740/1000 西出町公園(神戸市兵庫区)

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No.739の東出町(ひがしでまち)公園でも述べた、古くからの兵庫津の歴史を残す西出町(にしでまち)に西出町公園があります。
公園の南にある市営住宅の敷地がもともとは小学校だったこともあってか、全体が小学生向けの遊具広場のようになっている街区公園です。

四角い形の公園の中央には、かなり大きな山遊具。
直径にして15メートルくらいはありそうで、この公園では何をするにしても避けて通ることはできません。


近づいてみると、山の下にあるトンネルは鉄板で塞がれていました。
安全管理や維持管理上の問題から、このような改修が加えられている遊具はよく見かけるのですが、それにドアが付いているのが面白いところ。もしかすると中を倉庫代わりに使っているのかも知れません。

山遊具の上から、ブランコ、球形ジャングルジム、ラダー遊具の並ぶ一角を眺めるとこのように。
公園の中央部は山遊具に占められているため、他の遊具は隅の方にコンパクトに集まっています。

色々ある公園も楽しいですが、このように特徴・個性をはっきりと打ち出してきている公園もまた魅力的です。

(2014年6月訪問)

【2015年10月追記】
久しぶりに西出町公園を通りがかったら、「東山魁夷旧居跡」の解説板が設置されていました。
その解説自体もさることながら、東山魁夷が暮らしていた時代の街なみの復元地図というのも添えられていて、こちらも興味深いものになっています。

●現地の解説板より「東山魁夷旧居跡」
日本画家。1908年(明治41)7月8日横浜に生まれる。本名新吉。11年(明治44)父の家業の都合で三宮に移った後、一家は西出町に移転し「東山商店」という船具商を営む。信成幼稚園、入江小学校、兵庫県立第二神戸中学校(旧制)と少年期を神戸で過す。
入江小学校時代には絵が好きで学習のあいだによく絵を描いており、既に画家を志していたという。中学校になってからは我流で油絵も描くようになったが、異国的な雰囲気のみなとや山が好きで独りで遊ぶことがことに多かった。
1931年(昭和6)東京美術学校(東京芸大の前身)を卒業して、33年から35年までドイツに留学。47年(昭和22)の第3回日展で「残照」が特選。56年に第11回日展出品作「光昏(こうこん)」で日本芸術院賞を受ける。65年には日本芸術院会員、日展理事となり、69年に文化勲章を受賞。74年に日展理事長となった。この間、60年に東宮御所壁画「日月四季図」、68年には皇居新宮殿壁画「朝明けの潮(うしお)」を完成させ、翌年毎日芸術大賞を受ける。73年から唐招提寺御影(とうしょうだいじみえい)堂障壁画の制作に携わり、81年にこれを完成させた。
文章をよくし、「わが遍歴の山河」「風景との対話」など著書多数がある。99年(平成11年)5月6日死去。
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私は横浜で生れたのですが、三つか四つの時に神戸へ一家が移住しましたので、横浜には記憶がないのです。人間の精神形成は幼児の環境が決定的な意義を持つと云われますから、神戸の町が、私に与えた影響は大きいと思われます。
戦災を受けて、この横丁は完全に消失してしまい、今は小学校のそばの児童の遊び場になっていますが、この市井の一隅が、今でも私の心の憩いの場であり、素朴で人間的な温かみを蘇らせてくれる泉となっているのです。
(兵庫県立近代美術館での講演「神戸と私」より)


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