さて、その神若公園。500メートルほどの長さのあるサンロード商店街の北端を出たところにあります。
区画整理された一街区が公園になっており、面積は約0.39ヘクタール。市街地の公園としては広い方です。
敷地の東半分が広場、遊び場になっており、ブランコ、滑り台があります。
しかし、この公園を印象づけるのは広場の真ん中に置かれた円形の遊び場。コンクリート敷きで一段高くなったところに、砂場とカラフルな土管遊具があります。
広場の中央に砂場という公園はたまにありますが、さらに砂場周りに遊び場スペースというのが珍しいように思います。
土管遊具も単純な円形ではなく、上にちょっと飾りが付いているところがお洒落です。
西半分はフェンスで囲まれた多目的広場になっていますが、隙間にブランコだけが置かれています。
ちなみに阪神・淡路大震災の1週間後に公園の利用状況・被害状況を調査した時には、フェンスの中が自衛隊から提供されたテントを使ったテント村になっていました。
手前のベンチに書かれた「おもろい夫妻」という落書きも気になりますが(笑)
1995年1月撮影 (株)総合計画機構所蔵 |
一方、遊具広場の方には自前のものと思われるテントに避難している方がいて、なんらかのルール付け、住み分けがおこなわれていた様子があります。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構所蔵 |
そのほか、4本足テントもいくつか建てられており、自治会等の活動拠点、救援物資の集配、自転車やバイクの保管場所などとして使われています。やはりある程度の面積がある公園は、災害時にも色々な利用が可能であったことがうかがえます。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構所蔵 |
ところで、このあたりでは十数年前に区役所や商店会などが一緒になって、地名や史跡にちなんだ「創作民話」を生み出してそれに関わる看板や石像を置くという事業を展開したことがあり、公園内にも「こくがのとげ抜き石」の石像があります。
■現地の案内より『こくがのとげ抜き石』
布引の山奥に住む赤鬼は悪さばかりするので、ある日村人にこらしめられ指にとげがささります。
このあたりのこくがの里にあったとげ抜き石で痛いとげを抜いてもらい、心あらためた鬼は里の人たちといつまでも仲良く暮らしたそうです。
あくまで最近に作られた創作民話なのですが、こうして石像があって横に物語が書かれていると、ずっと昔からあるお話しのように感じるので不思議なものです。
(2014年5月訪問)
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