鳥取東照宮は、江戸時代には因幡東照宮という名であり、明治に入って土地の名に佳字をあてた樗谿神社に改称されたのですが、創建当時の名に戻そうという動きがあって平成23年(2011年)に鳥取東照宮となりました。
明治の改称は「廃仏毀釈」や「徳川否定」といった理由があったのだろうと想像しますが、平成の改称では、なぜ本来の名である因幡東照宮とはせず鳥取東照宮としたのかは不明です。が、おそらくは鳥取とか因幡とかではなく、「東照宮」の名前こそが重要だったのでしょう。
こちらが東照宮への参道。写真左手が公園の区域で、向かいには鳥取市の歴史博物館・やまびこ館があります。
さて、現在の樗谿公園。
公園としての都市計画決定は、谷を流れる川沿い、参道沿いに細長く連なり、東照宮社殿よりも谷奥まで通じているのですが、園地や園路があってよく使われているのは谷出口の池の周りです。
ここは、1897年から鳥取招魂社の境内地となっていた場所ですが、後に火災によって社殿が焼けたことなどから招魂社は移転し、その後に公園となりました。
鳥取県立博物館のサイトで大正時代の絵葉書を見ることができますが、公園内の池は招魂社時代からの名残ではないかと思います。
池の周りは広々とした芝生広場。
この日は小学生の遠足が来ていて、たいそう賑わっていました。
池へと通じる谷川は、ホタルの名所として知られています。
池のそばには屋形船。市内を流れる袋川で使われていたものだそうです。
袋川から樗谿公園は少し離れていますし、どうせ離れた場所で保存展示するなら博物館などの方が良いようにも思うのですが、なぜかここにあります。
●現地の解説板より『屋形船』
江戸時代、袋川に浮んだ屋形船は、藩主の御座船、民間の待船の中にみえる「小障子遊参船」などであったろう。
屋形船を、庶民がもっとも多く利用した時代は、明治末期から昭和初期にかけてではあるまいか。春は袋川の土手に植えられた桜の満開の花を長め、夏から秋にかけては千代川に出て川魚の料理を楽しんだ。
この舟は、昭和25年春、鳥取市内の料亭が、賀露町の造船所に建造させた舟の一つである。舟型は大平田舟といわれるものである。
昭和26年2隻の屋形船は料亭の庭園に持ち上げられ、客用の座敷に使われていた。ふなべりの欄干はその時に造られたものである。
袋川に浮かんでいた最後の屋形船である。
寄贈者 鳥取市戎町463 米澤勇修復 鳥取造船工業株式会社昭和56年3月 鳥取市
検索してみると、寄贈者の住所は袋川沿いで、今も日本料理のお店がありますので、なんらか関係があるものと思われます。
●屋形船について触れた鳥取市HPの記事
(2013年10月訪問)
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